アトリエ隼 仕事日記

長崎の炭鉱・教会・対州馬などをご紹介しています。 多くの方が炭鉱時代の事を探しておられるますので、炭鉱記事へのコメントは、どうぞアドレスをお書き添えください。橋渡しいたします!

西川内炭鉱

西川内炭鉱 ~ 佐世保市(旧・北松浦郡) 小佐々町

小佐々町・西川内(にしかわち)炭鉱については、昨年の暮れ、ちょっとだけ記事にしましたが、あまりにもさわりだけでしたので、もう少しきちんとした記事にしたいと思います。
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「西川内」バス停付近にある公営住宅です。閉山後、多くの鉱員住宅は公営住宅などに払い下げられたようですが、ここも元のつくりは炭坑時代のものだと思います。
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今回はきちんと地元の方にお話をうかがいました。ちょうど畑作業をされていた方は、この地に生まれ育ったという方で、いろいろと教えていただきました。
その方の家が建つ場所は、炭坑時代映画館が建っていた場所だそうです!
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小佐々町・西川内炭鉱の遺構か・・・・

小佐々町、小佐々浦の東岸、赤崎地区で見かけた煙突です。煙突の古さから見て、昭和初期頃、つまり炭鉱の栄えていた時代と重なることは間違いないと思うのですが、残念ながら周りにはまったく人影が無く、結局情報を得ることができませんでした。
小佐々浦煙突

「西川内炭鉱」は、昭和20年に福岡の秋元近嘉が開削した炭鉱です。この炭鉱ははじめ小佐々浦を横断して対岸まで石炭をケーブルで運び積み出しをしていましたが、昭和39年に赤崎地先を埋め立てて積み出し設備を整えています。この煙突がある場所は、その埋立地にあたります。昭和42年には最盛期となり270名ほどの鉱員数を数えたそうです。(43年2月末に閉山)
付近の18号線沿いは、すっかり雑草に覆われてしまっていますが、それでも所々に見える貯水槽跡や、宅地の石垣などに、当時の鉱員さん家族の方々の暮らしをしのぶことができます。
小佐々浦煙突2


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「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧



プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。29年 あさひ日本語学校・校長職を兼任。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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