まず最初におさえておかないといけないのは・・・炭鉱に限らず、産業遺構や被爆遺構などは、人によって受け取り方は様々なわけですから、住宅地に隣接している場合などには、どう影響するか、という可能性まで考慮しつつ記事を書かないといけない・・・ということです。
さて、この瀬戸岳炭鉱跡・・・炭鉱跡と言っても、これはどう考えても、炭鉱として成立し得なかったのではないかと思うので、紹介いたします。
場所は佐世保市内、松浦鉄道・山の田駅の近くです。
ただのコンクリートの小さな空き地に見えますが・・・

このコンクリートの下に、まるで井戸のような竪穴。これが、瀬戸岳炭鉱の竪坑跡です。
瀬戸岳炭鉱は、1873年(明治6年)6月に佐世保市の益永兵吉が開坑したと記録に残っています。閉鎖については、記録が残っていませんが、この場所、画像に「山の田出水跡」とあるように、水の湧き出た名所?で、多いときで、一日に30トンもの水が出たそうです。現代ならいざ知らず、この時代は、まだやっと蒸気機関があるくらいで、排水ポンプなどあろうはずもなく、出炭どころか、坑道を維持することすら難しかっただろうと、推測できます。

この豊富な湧き水をたよって大正12年にもやし店が創業し、これが近代まで続いたとありますから、閉山の記録も残らないほど短期のうちに、放棄されたのは、疑う余地のないところです。
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さて、この瀬戸岳炭鉱跡・・・炭鉱跡と言っても、これはどう考えても、炭鉱として成立し得なかったのではないかと思うので、紹介いたします。
場所は佐世保市内、松浦鉄道・山の田駅の近くです。
ただのコンクリートの小さな空き地に見えますが・・・

このコンクリートの下に、まるで井戸のような竪穴。これが、瀬戸岳炭鉱の竪坑跡です。
瀬戸岳炭鉱は、1873年(明治6年)6月に佐世保市の益永兵吉が開坑したと記録に残っています。閉鎖については、記録が残っていませんが、この場所、画像に「山の田出水跡」とあるように、水の湧き出た名所?で、多いときで、一日に30トンもの水が出たそうです。現代ならいざ知らず、この時代は、まだやっと蒸気機関があるくらいで、排水ポンプなどあろうはずもなく、出炭どころか、坑道を維持することすら難しかっただろうと、推測できます。

この豊富な湧き水をたよって大正12年にもやし店が創業し、これが近代まで続いたとありますから、閉山の記録も残らないほど短期のうちに、放棄されたのは、疑う余地のないところです。
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