アトリエ隼 仕事日記

長崎の炭鉱・教会・対州馬などをご紹介しています。 多くの方が炭鉱時代の事を探しておられるますので、炭鉱記事へのコメントは、どうぞアドレスをお書き添えください。橋渡しいたします!

佐世保

不動炭鉱 ~ 佐世保市木風町

佐世保市木風(きかぜ)町1403番地にあった不動(ふどう)炭鉱。偶然ですが、ここは私が教師時代に5年間暮らした町のすぐ隣りにありました。
鉱業権者、河内 進。操業開始・昭和28年12月24日、職員18名、労務員数120名(昭和35年時)、閉山・昭和38年2月。炭鉱誌にも郷土資料にもほとんど資料がなく、わかるのはこれだけです・・・・
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案内板には「不動の滝」「不動炭鉱」・・・とありますが、どちらも地図上にもネット上にも現れません。小さな谷間にある小さな滝のそばに10年ほどあった炭鉱なのですね・・・。

地元の方の話では、この狭い地域に100~200人あまりの人がいて採掘をしていたそうです・・・

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佐世保・紋珠岳炭鉱跡

かつて佐世保市内には、無数の炭鉱があり、最盛期と言われた昭和32年には、38鉱を数えたといいます。
その中の1鉱、紋珠岳(もんじゅだけ)炭鉱は、現・市街地の中央付近にありましたが、何かしら跡は残っているのだろうか?・・と思いたずねてみました。
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ちなみに、昭和57年に空撮された付近の写真には、まだはっきりと紋珠岳炭鉱のボタ山が写っています。
紋珠岳炭鉱は、昭和25年開坑。閉山の年は、はっきりしていませんが、昭和35年に佐世保市内で操業していた26鉱のひとつに名を連ねています。同37年には19鉱、40年に6鉱と、この頃激減しているので、おそらく30年代の後半に閉山していると思われます。
ちなみに41年まで残ったのは、中里炭鉱、山住炭鉱、協和炭鉱、但馬岳炭鉱の4鉱のみ。42年には山住とこの年に発足した柚木の2鉱となりました。翌43年に山住閉山、47年に柚木閉山となり、佐世保市内から炭鉱がすべて姿を消しました。
(後に40年、6月8日閉山と判明)
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ボタ山の下は、西海学園のグラウンドです。



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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。29年 あさひ日本語学校・校長職を兼任。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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