アトリエ隼 仕事日記

長崎の炭鉱・教会・対州馬などをご紹介しています。 多くの方が炭鉱時代の事を探しておられるますので、炭鉱記事へのコメントは、どうぞアドレスをお書き添えください。橋渡しいたします!

大黒恵美須市場

またひとつ姿を消した故郷 ~ 大黒・恵美須市場撤去


昨年3月末をもって閉鎖された大黒・恵美須市場。その後長い間立ち入り禁止という状態が続いていましたが、平成25年になってから遂に解体・撤去されました。
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行政に関しては今更このトピックで云々言う気はありません。でも、一年前の同地はこのようになっていたわけで、どちらが「長崎」の街として親しみが持てるかなぁと思ってしまいます。
まぁその論争も他に譲るとしても、下の画像にあるように、ここには長年「ヒトの暮らし」があり、雨が降れば、家族の傘が並ぶ・・という日常の光景が見られました。
確実に言えるのは、「多くの人の長崎の故郷が、またひとつ姿を消した」ということです。
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店舗の上は温かい我が家だった ~ 大黒恵美須市場閉鎖からひと月

大黒・恵美須市場の閉鎖から一ヶ月。ヒトがいなくなった同市場は、急激に風化が進んだような気がします。
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2012年3月14日 高校生・岡部優君と大黒・恵美須市場へ(1)

大黒・恵美須市場でシャッター写真展をしていた、長崎南高3年の岡部優君は、いわば僚友であり、コラボ作家なのですが、卒業後は大阪の大学に進学するというので、卒業前の一日、ともに市場の撮影に出かけました。
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この日は、市場の組合の事務員さんにあらかじめ連絡をとっておいて、店舗の上にある居住スペースを数軒撮らせてもらうことになっています。
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1Fの店舗スペースは空き店舗が大半を占めることもあり、色彩を失った、薄暗い空間となっていますが、居住空間は、一体どうなっているのでしょうか・・・?
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親しみの持てる街の要素って何だろう? ~ 2012.1月半ばの大黒・恵美須市場にて

あんなにも明るい笑顔で迎えて、声をかけてくれた方のお店が遂に閉まってしまいました。 もうこの扉が開かれることは二度とありません・・・
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2011年12月の同じ場所
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「夏の子ども ~ 長崎・大黒恵美須市場にて」

このような夏の光景は、もう見られることもありません・・・
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「大黒・恵美須市場」は今年で約50年。他の多くの市場と同じく、戦後ようやく戦禍・原爆禍から立ち直っていった頃にできた市場です。
元々長崎市中心部では、焼け跡にポツリポツリと立っていったバラックのお店から少しずつ市場を形づくっていった場所も少なくないと思いますが、この大黒・恵美須市場は元々今のJR長崎駅あたりにあった市場が、長崎市との契約によって小さな川の暗渠上に移ったものです。しかし、その後50年、暗渠部のコンクリートの劣化が進んだとして、市側はこれ以上の契約の更新をしないと市場に通告。結果、来年2012年の3月末を持って、この「長崎の復興の象徴」とも言うべき市場は解体・撤去されます。

このイラストは、たまたま仕事でお世話になった方のご両親が大黒・恵美須市場内で鮮魚店を営まれており、すごくお世話になったお礼として、また私の著「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」の原画プリント展を現在も尚快く了承してくださっている同市場の共同組合さんへの感謝を込めて描かせてもらったものです。


今日2011年12月30日、その鮮魚店さんが閉店されるという前日。「お疲れ様でした」という言葉を伝えるのと、お正月の買い物のために市場に行きました。
やはり変わらぬ笑顔で迎えていただきました。きっと来年も再来年も年の暮れになると、今日の日を思い出すと思います・・・

皆様もぜひ「戦後長崎の復興のシンボル」でもある、この市場と最後まで笑顔と感謝で商いをされている市場の方々に会いにきてください!

昔は人であふれ、通行するのもままならなかったとのこと。その頃とは比べようもありませんが、それでもこの日はやはり「正月を迎える」という活気、空気感が市場内に満ちていました。
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お店を始められて47年。私の人生とほぼ一緒です。それはそれは長い年月ですね。好況、不況、大水害・・・いろんな長崎の歴史とともに商いをされてきたわけです。
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周りが1つ、また1つとシャッターを降ろす中でも明るく気丈に頑張ってこられた、ということをしっかりと見届けさせていただきました。 本当にお疲れ様でした。
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市場でのご商売も明日一日ですが、よいお年をお迎えください・・・
お顔を見れないのはさびしいですが、作品を展示させてもらっている者として、来年からもちょくちょくこの市場に寄らせてもらい、ディスプレイを少し変えながら市場の最後の日もちゃんと見届けたいと思っています。
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「長崎の街で・・・」 記事一覧




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18日までお休みします・・・

ご訪問、ありがとうございます。
長期出張の為、8/18まで更新をお休みします。

↓現在作業をしている、「大黒恵美須市場シリーズ・夏」の資料画像です。これをちまちまとトレースして、手がきの水彩に仕上げてゆきます。おそらく完成作をwebで公開することもなかろうと思いますので、せめて下図だけでも見てやってください・・・・
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長崎新聞「見てきました」欄に掲載していただきました・・

手前味噌的なトピックですが、長崎新聞の中の「見てきました」という記者さんが展覧会の感想を書くコーナーに掲載してもらいました。
地元誌はいいなぁ・・と思うのは、このようなささやかな展示を、かくも上手くまとめて取り上げてくれるところなんですね!うれしいもんです。
(クリックで若干拡大します)
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でも繰り返し言うようですが、作品を貼っている市場そのもが既に「アート」である点が非常に大きいのだと思います。
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被爆後の原子野から1軒1軒とバラックが建ち始め、市場が出来、ゆっくりと街が立ち上がった・・という長崎の歴史を体現しているのが、この大黒恵美須市場などであり、そのことをひとりでも多くの方に認識していただくきっかけにでもなれば、私としては幸いなのです・・・・
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「私」という人間性を育ててくれたのは、まちがいなく昭和の長崎の街なのですから。

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私が巡り会った、最良の展覧会場

「僕の子ども絵日記 ~ ながさきの四季」水彩画展
場所:大黒恵美須市場内 (桑原鮮魚店さん、はす向かい)
期間:市場がある限りずっと!

さすがに原画を置くと市場の方に迷惑をかけるので、プリントなんですが、書籍用のPDFをそのままプリントしているので、ほぼ原画通りの質が出せていると思います。

照明がどうかな・・?と当初、思ったのですが、意外にいい感じで見えていると思います。
そして何より環境がいいです!作業をしていると、まわりのお店の方が笑顔で「ほんなこて(本当に)、なつかしかね~。前はこがん(こんな)感じやったもんねぇ・・・」などと声をかけてくれます。これこそライブ!ですね。
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市場の中には涼しい風が吹いているし、時々ネコやなんかが通りすぎます。この「古田節商店」さんの看板とも不思議にマッチしてますね・・。
クーラーが効いて、控え室があって静かな会場より、私はここの方が気にいっています。
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長崎南校三年・ 岡部 優さんの写真展もやっています。もしよかったら、のぞいてみてください。



関連トピックス

大黒・恵美須市場は今も生き続ける「ミニ軍艦島」!

今生きている大黒・恵美須市場でお話をきく

長崎新聞 「大黒恵美須市場物語」①②

長崎新聞 「大黒恵美須市場物語」③④⑤

長崎新聞 「大黒恵美須市場物語」⑥⑦


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大黒・恵美須市場は今も生き続ける「ミニ軍艦島」!

大黒・恵美須市場の事務所に紹介していただき、いろんな資料を見せていただきました。下は、8年程前に長崎総合科学大学(前・長崎造船大学)の建築科の学生さん3人が卒論で作成した「市場の図面」です。
パッと見てまず思ったのは、「軍艦島の図面に似ている!」ということでした。
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もちろんスケールも時代も成り立ちもまったく異なりますが、「ヒトが暮らしていく中で、少しずつ改良され、増築されていった」・・・という点で一致するものがあるように思います。
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私には建築のことは一切わかりませんが、限られたスペースの中で上に上にと伸びていったこの住居は、うまく言えませんが「血の通った建物」であり、とめどもない魅力に溢れていると思うのです。
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上の住居に登る為の急で狭い階段。この景観は、むしろ軍艦島よりも軍艦っぽいかもしれません・・・
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今生きている大黒・恵美須市場でお話をきく

来年3月に閉鎖・取り壊しが決まっているという長崎市中心部の「大黒・恵美須市場」で、今もなお店を開いているK鮮魚店さんにお話をうかがうことができました。Kさんは、以前仕事でお世話になった方のご両親というご縁でお伺いすることができたのですが、お二方とも本当に「これが長崎の商い人!」というような、大変いい方でした。
家庭訪問の為、早く帰宅していた娘連れでしたが、娘にも大変優しく接していただきました。
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左側の奥さまは、昭和31年にこの市場が出来て以来、この市場を「故郷」として育った方です。
下は、まさにこの市場から嫁いだ時のお写真ですね。
当時は、お店の家族の大半がお店の上の部屋に住んでいたので、市場の住人全部が家族みたいなつながりがあったそうです。白無垢姿の後ろには、そんな住人の方の姿が見えますね。とろ箱に登っている男の子もいますね・・・・女の子の笑顔も印象的です。
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今年で55年目の「大黒・恵美須市場」。市場の起こりは、現在のJR長崎駅付近にあった店舗群を市の指導により現地(暗渠)に移したことだそうです。つまりここは市の指導により合法的に建っているわけなんですが、55年間という月日の経過によるコンクリート地盤の傷みにより、これ以上の契約は安全上更新できない・・というものらしいのです。
これについては、いくらでも反論の余地はあると思うのですが、何せ55年の間に「魚市場の移転」「大型商業施設の建設」が、同市場に大打撃を与えてしまい、残っている店舗の主さんたちも、反対する気力をなくした・・という状況があるのだ、とおしえてくれました。
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かつて魚屋さんが多かったということで、今もこの市場にはネコが多く住み着いているのだそうです。「この市場が無くなったら、ネコたちはどうするんでしょうね・・・」とKさんは話されていました。

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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。29年 あさひ日本語学校・校長職を兼任。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


以下は、すべてアトリエ隼(対州屋)のサービスです。




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