入坑口には、おそらくどこの炭鉱もそうですが、保安を呼びかける言葉がイラストなどと共に掲げてあります。
全くの推測にすぎませんが、山野鉱の近くにあった小中学校で書かれたものではないでしょうか。
学年別に並べて貼ってあるとすると、
小学校1年生 「 いし 」、石炭のことを指します。「 ほあん 」、そのまま保安ですね。
小学校2年生 「 せきたん 」、石炭。 「 あんぜん 」、安全。
小学校3年生 「 天井しらべ 」、仕繰り と呼ばれる坑内の保守作業の中の天盤の状態をチェックすることですね。
小学校4年生 「 炭車に注意 」、坑内災害による死傷者数が最も多かったのが、落盤によるものでしたが、次いで多かったのが、炭車暴走など運搬中の事故によるものだったというデータがあります。この事故への注意を呼びかけるものですね。
小学校5年生 「 岩粉散布 」、炭塵爆発を防ぐ為に散布する岩粉の定期的な散布を呼びかけるもの。
小学校6年生 「 散水励行 」、同じく炭塵爆発を予防する為の定期的な散水を呼びかけるもの。
中学校1年生 「 職場整理整頓 」、災害が発生する可能性を少しでも減らす為に職場の整理整頓を呼びかけるものでしょう。
と、このような感じでしょうか? (まったくの推測ですが)
その貼り出された習字をじっと見つめる、一人の坑内作業員の方は、その中に我が子の名前をさがしているのでしょうか。
しかし、その子ども達の願いも虚しくなるような大事故が、この写真が撮られた数年後の昭和40年6月1日に起きてしまいます。
12時40分頃起きたガス爆発により237人もの尊い命が失われました。
昭和47年発行の「子ども日本風土記 福岡編」には、その事故で父親を失った子どもの作文が収められていますので紹介いたします。
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