アトリエ隼 仕事日記

長崎の炭鉱・教会・対州馬などをご紹介しています。 多くの方が炭鉱時代の事を探しておられるますので、炭鉱記事へのコメントは、どうぞアドレスをお書き添えください。橋渡しいたします!

教会・カトリック史跡等

ひとつの墓石が語りかけてくるもの・・・

長崎市外海(そとめ)地方黒崎にあるキリシタン墓地を歩いていた時に見かけたひとつの墓石です。
キリシタン墓碑として特徴的な事ですが、墓石が寝かせてあります。この地方で採れる薄い石で作ってありますが、どうしたことか割れてしまっています。そしてその上には木の棒を重ねただけの十字架と最近備えられたと思わしき水瓶。
けっして立派とは言えないお墓ですが、このひとつの墓石は多くのことを語ってくるような気がしました・・・・
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今も海辺のマリア像前で少女が賛美歌を捧げている、神ノ島教会

神ノ島教会の立つ神ノ島地区はその名の通り、ひとつの独立した島であったのですが、現在では埋め立てにより地続きとなっています。便利になった分、最近ではドラマ「愛し君へ」などのロケ地などになったりもしましたね。
神ノ島教会は大浦天主堂、出津教会、大野教会についで4番目に古い歴史ある教会です。
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その神ノ島教会から少し離れていますが、海に突き出た岩の上に4m60cmものマリア像が海を向いて立っています。フランシスコ・ザビエル渡来400周年を記念して昭和24年に建てられたものですが、海を向いて立っているということは、長崎港を出入港する全ての船の航海安全を祈っているわけですね。
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マリア像が見ている先には蔭ノ尾島がわずかに残っています。かつては画面左の長刀鼻に英国人が設計した灯台が立っており、その近くには蔭ノ尾教会がありました。(その後移転し、香焼教会となりました)
神ノ島と蔭ノ尾島はとも長崎港入り口にあるキリシタンの島として多くの船舶を見守ってきたのですね。おそらくこの教会とマリア像を見てほっとした外国人船員も多かったことでしょう・・・
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蔭ノ尾島は工場に呑み込まれてしまいましたが、神ノ島には今でも多くの信者の方が生活をされており、信仰を守り続けています。写真は「神ノ島岬の聖母祭」のものだと思いますが、今でも朝と夕方には信者の小学生たちが、この聖母像前で賛美歌を捧げているといいます。
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歴史は今にずっと繋がっている・・ということを思わずにはいられません。



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離島からの信徒たちによって支えられてきた、飽の浦教会

飽の浦(あくのうら)教会。三菱重工長崎造船所の近くにあるこの教会は、かつて五島・伊王島・外海などから工員募集で出てきた信徒たちによって発展してきた小教区にある教会です。
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教会が持つ保育園・親愛園は大正15年の開設であり、長崎教区にある保育所としては最も古い歴史を持っています。
離島などから出てきたということは、近くに子どもを預ける親や親戚もいなかったということで、この互助施設が早い時期からつくられたということでしょう・・・
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またこの飽の浦教会と親愛園は個人的に教師時代の校区にあったということで、生徒の保護者さんが亡くなった時に教会での葬儀に出たこともありますし、保育園では「総合的な学習・保育ボランティア体験学習」として生徒たちを連れ、何度も訪れた場所でした・・・
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ここでは校舎の中ではけっして見られない生徒の表情を沢山みることのできた、思い出深い場所です。


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ド・ロ神父のフィールドは、トトロの出そうな場所だった

長崎県の西彼杵(にしそのぎ)半島は、近代まで「陸の孤島」と言われた場所でした。特にフランス・ヴォスロール村からやってきた「陽気で飾らない」ド・ロ神父が活躍した外海(そとめ)地方は、山深く断崖が海にせり出した地で港もなく、まさに「となりのトトロ」もしくは「もののけ姫」の出そうな?場所であったようです。

↓明治初期の外海の様子。ここが最大に開けた場所であった、と言っても過言ではないでしょう・・・
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こじつけっぽい!?ですが、その西彼杵半島、大瀬戸町多以良外(たいらそと)郷・柳口バス停には、ちゃんと「トトロ」もいますしね・・・。
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ド・ロの残した建築と言えば、出津(しっつ)教会と付近の救助院などが有名ですが、海岸部にある、それらの施設よりも下の画像の「大平(おおだいら)作業場」のような山中の建築物の方に、その魅力が溢れているように思えます。
キリシタン弾圧の「冬の時代」においてド・ロらが活躍できたのは、信者たちを守り隠した深い森があったからと言えるでしょう。キリシタン弾圧に向かった役人たちも、土地勘のない森の中では、気が気でなかったでしょうから。

草木の中に埋もれた大平作業上跡です。
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「Let it be !」・・と、ささやいてくれる大野教会のMother Mary

今まで巡ってきたカトリック教会というのは、ゴシックにしろロマネスクにしろ、高い天井と塔を持つものが多く、ヨーロッパの文化と建築様式を彷彿としたものが多かったのですが、この教会へ来てみると、そのイメージは微塵もありませんでした。
ご覧のように、殆どが「縦長」の建物である教会群の中で、この大野教会堂は、見事なまでの、ずんぐりとした横長です。
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壁は、レンガでも漆喰でもない、石造り・・・。この地特有の温石(おんじゃく)と呼ばれる水平に割れる石を積んで、間を砂や石灰・藁などを混ぜたアマカワというもので埋めた、「ド・ロ様壁」と呼ばれるものです。
この辺りは海岸に面し、強風が吹き荒れるため、ド・ロ神父が考案した建築工法だということです・・・。
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ド・ロ神父の遺したオルガンを70年以上も弾かれている、橋口ハセ シスター

学生時代、長崎に帰省した時に時間があると、ふらりと訪れた「ド・ロ神父記念館」。それから、教師となって長崎で赴任してからも、何度か訪れた場所です・・・
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外装はすっかり変わってしまっても、昔から変わらないことが、ひとつあります・・・。
それは、見学していると、いつの間にやら館内に出てきたシスター橋口が、ド・ロ神父がフランスから取り寄せたオルガンを弾き、賛美歌を歌ってくれることです。たとえ見学者が私ひとりであっても、それはいつも同じでした。

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この地に生まれ、20歳の頃から出津(しっつ)教会で、ド・ロの遺したオルガンを弾き続けてきた橋口ハセ シスター。今年で94歳だそうです。
「お元気ですね!」と言うと、にっこり笑って「神のお恵みです」と。
お元気もそうですが、本当にいい顔をされていますね・・・。
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ド・ロ神父が亡くなって2,3年後に誕生された橋口シスター。私が長崎でもっとも親しみを持って話せるシスターなのです。
今まではいつでも、ここへ行けば会えたのですが、最近では足を痛められ、体調を壊すこともあるのだそうです。
いつまでも、お元気でオルガンをここで弾いていて欲しいです。
シスターのオルガンあってのド・ロ記念館ですから・・・・

「長崎人物・歴史」 記事一覧

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紐差教会 ~ 平戸市紐差町

タイトルを「ひもさし」と読める方は、長崎県内でも余り多くはないのではないかと思います。
平戸中部にあるということで、素朴な島の教会を想像しますが、市内から向かうと、手前の宝亀教会(内部リンク)の素朴さとは、まったく雰囲気の異なる、堂々とした姿をしています。
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設計・建築は、世界遺産リスト入りを果たした教会群のうち、多くの建築に携わった鉄川与助(内部リンク)によるものです。
ここ紐差は、もちろん仏教徒の方もおられますが、外海(そとめ)から、ド・ロ神父のすすめで移住してきたカトリック信者の方も多い地区です。
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中にはもちろん入れます。ドアを開けると、静寂と神々しい空気に包まれます。そして光と陰。この空間に身を置くことが、教会を訪れる一番の意味であるように思えます・・・
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馬込天主堂 (沖ノ島天主堂) ~ 長崎市 伊王島

厳密に言うと、通常伊王島と呼ばれているのは、伊王島と沖ノ島の2島をさすものであり、2島は、船上から見る限りではひとつの島に見えますが、実は川幅ぐらいの瀬戸で隔てられています。
馬込天主堂は、別名沖ノ島天主堂の名がある通り、沖ノ島のキリシタン集落に建てられた教会です。

軍艦島ツアー・ガイド時代は、そこまで説明するのもなんなので、「かくれキリシタン(厳密には潜伏キリシタン)の時代から、今も尚、多くのカトリック信者の方が暮らす島で、島の人口におけるカトリック信者の方の割合が日本一高い時代もあった・・・」とアナウンスしていました。
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フランス魂 ~ マルコ・マリ・ド・ロ神父

普段は、ひっそりと目立たないが、この国難とも言うべき苦しい時になると、再び私たちの前にその姿を蘇らせてくれる人がいる。

マルコ・マリ・ド・ロ神父(Marc Marie de ROTZ)
1840~1914(大正4年)フランス・ヴォスロール村出身
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像になってしまうと、いかにも神格化した伝説の聖人のように見えてしまうのですが、ド・ロはいたずら好きで茶目っ気があり、よく長崎弁でジョークをとばしたそうです。
つまりこの人も、ゼノさんと同じく、大変感じのいい人だったわけですね。
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しかし、彼が今でも土地の人に「ドロさま」と慕われる理由は、もちろんこの人柄だけではありませんでした・・・・




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世界遺産級の教会建築士 ~ 鉄川 与助

世界遺産を目指す、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」ですが、多くの教会を設計・施工した鉄川 与助の存在が無ければ、おそらく状況はまったく違うものになっていただろう・・と思わずにはいられません。

与助は明治12年、五島列島中通島・青方村に、大工の棟梁鉄川 与四郎の長男として生まれています。
(画像は、その生まれ故郷に近い大曽に立つ、自ら設計・施工した大曽天主堂)
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禁教政策が解かれ、各地に天主堂を建てようとする動きが始まる中で、与助は、敬虔な仏教徒でありながら、教会堂・天主堂建設の虜となっていきます・・・
(画像は大曽天主堂内部の、リブ・ヴォールト天井(こうもり天井)
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曽根天主堂建設の際、与助に指導したペール神父は、リブ・ヴォールト天井のかけ方と幾何学を教えます。そこで教会建築に開眼した与助は、鯛ノ浦教会、桐ノ浦教会、堂崎天主堂の増改築に関わり、さらには自身の設計・施工で冷水教会、野首教会、青砂ヶ浦教会、楠原教会・・・と次々と才能と手腕を発揮してゆきます。
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しかし、与助は決して「天才肌」ではなく、ただひたすら、ひたむきに努力をした人物でした。
学歴はと言えば、小学校しか出ていませんが、建築に必要な力学の計算などは独学で学び、ついには微分・積分までも操るようになりました・・・
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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。29年 あさひ日本語学校・校長職を兼任。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


以下は、すべてアトリエ隼(対州屋)のサービスです。




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