アトリエ隼 仕事日記

長崎の炭鉱・教会・対州馬などをご紹介しています。 多くの方が炭鉱時代の事を探しておられるますので、炭鉱記事へのコメントは、どうぞアドレスをお書き添えください。橋渡しいたします!

仕事の中で

そして、誰もいなくなった・・・ 

「そして誰もいなくなった」は確かアガサ・クリスティーの推理小説の邦題ですが、近頃の長崎近辺を歩いて、古写真(といってもせいぜい明治末期から昭和30年代あたり)と見比べてみると、そのタイトルがぴったりとくるような気がします・・

たとえば下の写真は現2012年の百合野橋から見たJR道ノ尾駅付近ですが、けっこう大がかりな工事をしている割に写真から確認できる人間の姿はゼロです。
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明治30年より数年前頃の同場所です。九州鉄道により長崎本線が切り開かれている頃の写真であり、工事の規模が違うとはいえ、ここには少なくとも60~70人のヒトの姿が写っています。
単純な言い方ですが、ここには70人以上の「雇用」があり、同数の家庭が生計を立てていたということです。質はともかくとして。
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「僕の子ども絵日記」 ボツ画4枚

12/6、NBC長崎放送さんの情報番組「あっ!ぷる」で「僕の子ども絵日記」を紹介していただいたのですが、プロデューサーさんが大変才能のある方で、スタッフさんもすばらしかったおかげで、とても良いものに仕上がっており、意外なくらい反響をいただきました。
お陰様で、十数年ぶりに教え子数人からも連絡をもらい、うれしい思いをさせてもらいました。

「僕の・・・」には本になる直前にスペースの関係でボツになった絵がありまして、それは「タイムスリップ軍艦島編」に付けられるはずだった「私の好きな軍艦島の○○」です。

まずは「ドルフィン桟橋と人道トンネル」
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軍艦島への上陸を現在も尚、はげしく困難にしているのは軍艦島付近の早い潮流と深い水深。通常の防波堤などは、おそらくあっという間に波にさらわれてしまいます。(島全体が波を被ることすらあるのですから)
絵に書いているように1代目、2代目と流された後、技師達が造り上げたのが、このドルフィン桟橋です。
初めて軍艦島に行った時は、まずこのドルフィン桟橋と人道トンネルがどういう構造でつながっているのかを見たい、ということでした。
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「第4回ふるさと自費出版大賞」・作品集部門、最優秀賞を頂きました

私にとっては「長崎新聞社」の名を冠して本を出させて頂くこと自体が、ひとつの金字塔であり、ステイタスだったのですが、「全国新聞紙出版協議会」というような全国の新聞社さんが加盟する組織が主催したコンクールで賞を頂けたということは、これはもう、「大変光栄なこと」としか表現のしようがありません!

◎「第4回ふるさと自費出版大賞」授賞作決定

◇大  賞
ESOPO
 イソップの生涯の物語 天草本 伊曽保物語より 中川哲子 企画
制作・熊日サービス開発

◇部門最優秀賞 

<文芸・創作部門>最優秀賞

ドナーズ・ハイ 丸山正則
制作・新潟日報事業社

<ノンフィクション部門>最優秀賞

南海地震は予知できる 地震が残した証拠品  中村不二夫
制作・高知新聞企業

<郷土文化部門> 最優秀賞

尾瀬紀行 その自然と人々 歴史と民俗をたどる山旅  永井佐紺
制作・上毛新聞社

<作品集部門>最優秀賞
僕の子ども絵日記 ながさきの四季  江島達也
制作・長崎新聞社

◇特別賞 

天草の乱 秘聞 富岡城に立つ虹  村上史郎
制作・熊日サービス開発

◇優 秀 賞 

1.夏の時計  重松彌佐 (本名:渡部彌佐) 

制作・北海道新聞社

2.原敬が密書を託した男~「東洋のビール王」馬越恭平  田屋

制作・岩手日報社

3.いつもありがとう  酒井祥二 文 いとうみわこ  

   制作・福島民報社 

4.住谷兄弟仇討の記録~桜田門外の変番外~  桜 真尚

   制作・茨城新聞社

5.あいつらじゃなくて良かった  大門玲子

制作・下野新聞社

6.半原宮大工 矢内匠家匠歴譜  鈴木光雄

制作・神奈川新聞社

7.長野市民会館50年の記憶  長野市民会館記録編集会議〔REMONCH〕編

制作・信濃毎日新聞社

8.魔方陣の作り方と神秘・魅力  柴田和洋

制作・静岡新聞社

9.愛知千年企業 江戸時代編  北見昌朗

  制作・中日新聞社

10.三重の碑百選  三ッ村健吉(故人)著、三ッ村千鶴子  

制作・伊勢新聞社 

11.写真集 元気な利賀っ子  元気な利賀っ子編集委員会 編

制作・北日本新聞社

12.白山の虫たち  富樫一次

制作・北國新聞社

13.奇跡の「地方前衛」 福井近代美術19201945  土岡秀一

制作・福井新聞社

14.「二百年後ノ世界ヲ待ツ」村上作夫伝  森 博

制作・京都新聞出版センター

15.摂津 ふらり旅 ~北摂・大阪・神戸を巡る~  國眼隆一とTOYO倶楽部

制作・神戸新聞総合出版センター

16.加藤嘉明と松山城  日下部正盛

制作・愛媛新聞サービスセンター

17.方言ポエム かたんべべ~子どもどんの四季~  松田秋廣

制作・西日本新聞社

18.日本全国 夢ふたり旅 ~2005年の旅日記~  上山誠志郎

制作・南日本新聞開発センター


私の拙著制作にあたり、携わってくれた全ての方、特に長崎新聞の出版室をはじめとする生活文化部や報道部のお世話になった方々に対し、感謝の思いでいっぱいです。
本当にありがとうございました。

↓ 昨日の誌面より。次の目標は、『 AKBより目立つ記事になる!? 』でしょうかね・・・・!^^
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「長崎弁かるた」~ボツ図案集

2008年の4月にKTN(テレビ長崎)の開局20周年記念事業の一環として製作された「長崎弁かるた」にイラストで参加させて頂いたのですが、先日下図ファイルをながめていると、採用されなかったボツ下図がけっこうでてきましたので、この機に紹介したいと思います。

長崎を表す短い言葉に、親しみの持てるイラストを付ける・・・これは今の私の製作スタイルに大きく影響しているものです。
またボツになったものの、これらの図案は、私の「長崎に対するイメージや想い」そのものでもあります。


「 ちゃんぽんにしなさんな きちんと わけとかんば 」
(ごちゃ混ぜにしないの、きちんと分けて【入れて】おきなさい!)
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・・・「ちゃんぽん」は長崎の代表的な郷土料理ですが、この場合はいろんなものを区分けしないで、いっしょくたにしてしまっている状態を指します。
夏休みになって、田舎のじいちゃん、ばあちゃん家に行く子どものリュックの中身を点検?している母親の図です・・・。

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端島・日給アパートとゲゲゲの鬼太郎

大正7年建築、端島・日給アパートの18号棟と19号棟の間を、端島神社側から見た構図で、当時の様子に再現する絵を描いています・・・。
今までは、日給APの16~19棟はあまり違いがないように意識していましたが、絵を描くとなると資料を血眼?になって探し、食い入るように見る為か、その違いが段々とわかってきたような気がします。w(*゚o゚*)w
また大正から昭和40年代までという幅の中でも、仕様に微妙な差異が見つかったりします・・・。例えば、18号棟の屋上は屋上菜園として多くの子ども達も行き来したためか、ある時期には従来の手摺りの内側にもっと高い杭を立てて、その杭に沿って高めの柵をめぐらしています。おそらく地上9階建ての屋上なので、転落事故などに配慮したものと思われます。あとベランダから張り出した「物干し」なども竿が落下しないように溝を深く切ってあるなど、住んでいた住人達の細かな配慮が伺えます。
下にあるような画像を子ども達が沢山いる「当時の」画像に変換していくことは、すばらしく楽しい作業なのです。

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「ゲゲゲの女房」では今、「貸本マンガ」が「低俗だ!」など一部の暴挙に晒され、衰退していくという時代が放映されています。
私が幼くて、それこそ「軍艦島」のようなアパート群の中に住んでいた頃、アパートの近くに2軒の貸本屋さんがありました。まだその頃は週刊誌なんて、とても買えない時代だったので、安いお金で借りられる貸本屋さんは、我々兄弟にとって、大変有り難いものでした。
低俗どころか、貸本マンガには、幼いながらも「いいハナシだなぁ~・・」と思うようなマンガがあって、その幾つかは今でもよく覚えています。
「ゲゲゲの鬼太郎」は貸本やさんでこそ、借りた記憶はないけれど、幼い頃から、本当に好きなキャラクターでした。小1の頃、自分で「鬼太郎」を真似て、「ガガガのコタロウ」というマンガをかいた記憶があります(笑)
アトムやエイトマンなどのヒーローとは違って、颯爽とはしていないかもしれないけど、普段の姿が、ちゃぶ台の前に座ってお茶を飲んでたりする感じが、とても親近感の持てるものでした。今風に言うと、自然体というか、カッコつけてないというか・・・。それに「ゲゲゲ・・・」は妖怪マンガですが、「生理的に気持ち悪い」というところが全くないもので、むしろ「精霊」とか「妖精」などに近いものがあったと思います。妖怪達に親しみも持てましたし・・・。
しかしまぁ時代だったのでしょうが、本当に「世間」というつかみどころのない「人格」はなんと無情・無慈悲な面を持っていたのであろうか・・・と番組を見ながら、思ってしまいます。

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Really Bad English Speaker

今日案内したのはイングランドからの若き建築家さんと某中学校の先生さん。
建築家さんはEnglish onlyのnativeでしたので、まさかの?初の英語&日本語の同時案内!・・・・・(´-д-;`)
まぁ間違いなくBad Speakerな私のEnglishですから、聞く方も、それなりに忍耐を要したと思いますが、そこは日本人と近い感性の英国人の方でしたので、何とか無事終了することができました。(先生氏の寛大な協力もあって・・・)

帰りの船中では、ジェスチャー?や筆談?も交えて、「Public Space(
共同空間)とコミュニティ及び社会問題」についてずっと討論?しました。
彼女はイングランドで小学校の設計をしたという、若いながらも有能な建築デザイナーさん。なので、ここぞ?とばかりに「軍艦島にあったアパートの建築がいかに優れていたか!」について売り込みました。
今晩には韓国へ渡ると言っておりましたが、今回のツアーが彼女のその後のworksに対し、多少とも影響を与えることができればうれしいと思います・・・。

しかし、英語はもう一度ちゃんと勉強しなおさなきゃ・・・・('A`|||)

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シアワセの通り道・・・「地獄段」を描く

久々に昼間から「軍艦島シリーズ」の制作にかかれました。・・・・うれしかった。
作品を作る以上、出来るだけ正確に描きたいので、日給住宅の住居入り口の木製扉のデザインを探すのにかなりの時間を費やしてしまいました。(数冊の写真集には見つけることが出来なかったので)結局は、3月に島内へ入った時に自分で撮ったものと、ある本に掲載されていた小さな写真を見つけ、中断していた作業を再開させることができました。
ところで、この日給住宅をはじめ9階建ての、エレベーターも個別のWCも風呂もないアパート。調べれば調べるほど「ヒトのシワワセの詰まった」アパートであったことがわかります。「音がうるさい」「共用場所に個人の物を置くな」「灯りがまぶしい」「ペットが迷惑だ」云々・・・という現代の集合住宅が抱える。悩ましいトラブルでは、おそらくここでは皆無に近かったことだけは、間違いないようです・・・・。

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奥の奥にある、凛としたもの

「ゲゲゲの女房」の水木しげる氏は妖怪マンガで知られていますが、不思議と気味悪さというものがなく、私自身も幼い頃から親しみを持って読んでいました。それは「妖怪の不気味さ」よりも「ヒトの哀れさ」を根底に感じていたからかもしれません・・・。
自分は霊感が強い方ではないのですが、この人の世に、科学では説明のつかないことがあっても不思議ではない・・・いやむしろ、そういう部分があることが救いであるとさえ思えてしまいます。

私がガイドをしている炭坑という場所(また周辺の島々)は、場所柄過去に多くの人が亡くなった場所でもあります。しかし同時に、生活を守る為に家族や島民同士が手を取り合って輝くように生きた場でもあります。
訪れた方に楽しんでもらうことが第一義なのだろうと思います。しかし過去に亡くなった方の声なき声を代弁するとまでは言いませんが、根底にはやはり「凛とした」ものがなくてはならないように思えるのです。

この時季、港へと通う道すがら爆心地公園や城山小付近には大勢の修学旅行生達の姿が見られます。ここ長崎市には大切な光景のひとつです。松山・大橋の浦上川付近を通るとき、無意識的に1945年の8月9日が脳裏にあるような気がします・・・。

そうやって考えてみると、「軍艦島ツアー」を深く知ることは、単に三菱高島炭坑端島鉱業所を知るということではなく、過去にあった、様々な場所での人々の生きた歴史(証し)を知ることでもあるということがわかってくるのです・・・・

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私にできるガイド業の全て

①にまずはヒトに関心を示すこと。・・・・どんな質問であれ、関心を示されて嫌な顔をするヒトはまずいません。そしてその後は、こちらの話の聴き方も変わってくるように思えます・・・。当たり前のことだけど、関心を示されることは、存在を認められることであるので、その時点でヒトの気持ちは高められてると思います。

②に共感の持てる笑いを共有できること。・・・・・これにより、ヒトというのは古今東西、老若男女いろんな人間がおり、深刻な状況もあったりするのだけど、反面それがゆえの「可笑しさ」「滑稽さ」が共通であることを知り、親近感を感じ合うことができるように思います。そしてその楽天性は日々の生活への糧にも成りうるように思えます。

③にジンとくるものがあること。・・・・・jこれにより、「可笑しさ」のすぐ裏側にヒトの情緒や感性を育むものがかくされていることを知ることになると思います。

現時点の私にできるガイド業の全て・・・・です。

午前中は灼熱の・軍艦島。夕刻には雷雨に打たれて帰宅しました。

神奈川・武相高校のナイス・ボーイたち

初任校で一緒だったS先生から異動の挨拶の葉書を頂きました。彼と一緒だったのは、たった2年間だけで、もうかれこれ20年前になります。しかも同学年ですらありませんでした。
手書きで「とうとう母校に戻ってきました」とありました。この1枚の葉書で私の気持ちが随分と高められたことは、言うまでもありません。
一事が万事と言います。「他人の気持ちを高められるヒト」・・・彼は私より年下ですが、本当の意味の「教師」であると確信しました。

今日は横浜の男子校の高校生達がツアーにきました。
「軍艦島コース」を選択した生徒達らしかったのですが、本当に感じのよい生徒ばかりでした。
・・・男子校、いいなぁって思いました。

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ツアー後、たまたま湊公園の近くを通ると、彼らが長崎名物「チリンチリン・アイス」を買っている場面に遭遇しました。彼らは、こっちにもちゃんと気がついてて、ペコリと頭を下げました!
よい修学旅行を!!
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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。29年 あさひ日本語学校・校長職を兼任。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


以下は、すべてアトリエ隼(対州屋)のサービスです。




対州屋~写真のデジタル化




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「対州屋」(たいしゅうや)



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