アトリエ隼 仕事日記

長崎の炭鉱・教会・対州馬などをご紹介しています。 多くの方が炭鉱時代の事を探しておられるますので、炭鉱記事へのコメントは、どうぞアドレスをお書き添えください。橋渡しいたします!

日々雑感

ただの社宅やアパート ・・・ されど誰かの故郷(ふるさと)

昔、ドイツに住む友人がおり、一緒にベネチアを旅した時、ある古いアパートの前にある表示を見て驚きました。
「ここはマルコ・ポーロが生まれた家(アパート)」 ・・・ざっと700年近く前で、日本なら鎌倉時代にあたります。
しかも著名人の生家だから保存しているわけでなく、何百年も残っている住居群の中にたまたま著名人がいたというだけのこと。

「そこまで残して!」とは言いません。湿度や建材・建築の違いはあるにせよ、日本では、あまりにも建物を壊してしまうのがはやすぎるのではないでしょうか・・・・

立ち退きが進み、間もなく「跡形も無く」取り壊されることがあきらかな、このアパート。このなんでもないアパートも、画像に見える家族にとっては子どもの節句を祝った、大事な故郷(ふるさと)なのです。
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もちろん誰もがいつもそんなノスタルジックに毎日を送っているわけではありません。私もそうです。忙しい時、元気なとき、若いときにはその「故郷」を思い出すことすら難しい状況にあります・・・
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立派なヒトとは・・を考えさせられた、展覧会のお礼葉書

世の中に「自分は肩書きがすごい?」と言う人はたくさんいます。また自分は年収幾らで、これこれこういう風に活躍している・・と自慢気な人もまたたくさんいるようです。
しかし、そういった基準を世間に委ねず、立派な立ち振る舞いができるという風な人はなかなかいませんね・・

数日前届いた、一枚の葉書。それはKTNギャラリーで行われた写真展「さよなら坑道蛍」来場へのお礼の葉書でしたが、それは「立派な人とは、どんな行いが出来る人か・・」を考えさせてくれるものでした。
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・・・お金の問題ではないですが、文面にあるだけの入場者(記帳者)に葉書を郵送するというのは、手間もさることながら、結構な費用が要るはずです。でも、受け取る方にとっては、大変うれしいものであるし、何より気持ちが高められますね・・

葉書の裏面は高島炭鉱の「蛎瀬坑の竪坑やぐら」ですね。まわりには何も残っていないところからすると、取り壊される寸前のものであったことでしょう。もしかすると、翌日には解体されたのかもしれません。・・・詳しくはわかりませんが、一枚の写真から、そんなことが感じられます。
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・・・・さよなら坑道蛍。ありがとうございました、鵜沼さん。




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とっても九州な !? CM ~ 大分むぎ焼酎二階堂

この間、ちょっと飲む機会があったのですが、胃の調子がいまいちで、寒かったのでビールは飲みたくないな・・と思い、メニューから選んだのが「大分むぎ焼酎 二階堂」のお湯割りでした。何と言うか、全てにおいて穏やかで、以来今秋冬の自宅酒?はこれにしようと決めました。
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そう言えば、この焼酎のTV/CMは無意識的に自分の中ににじわじわと染みていたなぁ、と感じます。
九州各地がロケ地として使われ、コンセプトもひとりの中年男子?の心象風景を綴るというのが共感をよびます・・・。







考えてみれば、拙著「僕の子ども絵日記 ~ ながさきの四季」の中の取材記の中に出てくる自分のイラストは、この「二階堂」のCMに出てくる男性と何となく似ている気がします。

知らず知らずのうちに擦り込まれたのでしょうか・・・。
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「 二階堂酒造株式会社スペシャルコンテンツ 刻の記憶 」

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ヒトの暮らしって、なんだろう

webでふと読んだ東北の記事は切なすぎる内容でした・・・・

宮城県石巻市の三條慎哉さん(37)は小学生だった2人の娘を失った。
小3の長女、葵ちゃん(9)と小1の次女、舞夕ちゃん(7)。市立大川小に通っていた。児童の7割に当たる約70人が死亡。今も4人が見つからない。

あの日、会社が休みだった三條さんは、すぐに消防団の服に着替えて飛び出した。同居する妻の母が「孫が帰らない」と心配する声を遠くで聞いた。同僚とポンプ車で避難を呼び掛けて回った。

目前に迫る津波に気付いたが、すぐに車ごとのみ込まれる。入り江に浮かぶ材木の切れ端を必死でつかみ、水面に顔を出した。
同僚にも、三條さんと同じ小3と小1の2人の娘がいた。「きっと生きてる」。雪が降る中、励まし合って寒さに耐えた。約4時間後、岸に流れ着いた。

翌朝、小学校周辺の光景にがくぜんとする。町がない。学校は廃虚。橋のたもとには小学生くらいの背丈の子供の遺体があった。絶望の中、翌日たどり着いた内陸の集落で、同僚の2人の子が無事だと知る。同僚は声を抑えきれずに号泣した。

俺の子は……。思いを封印し、三條さんは、「本当に良かった」と喜び、同僚を抱きしめて泣いた。

三條さんの娘2人の遺体は、その後相次いで発見された。「うちだけ、すまない」。泣きながら謝る同僚に、言った。「そんなこと考えなくていい。(娘の)同級生なんだ。成長を見るのが楽しみだ。俺の心の支えだ」

お父さん子だった葵ちゃん。震災の前の晩、「一緒の布団で寝ようよ」と甘えてきた。それなのに、テレビを見ながら「今日はいいよ」と言ってしまった。小さな願いを、なぜあの日に限って聞いてやれなかったのか。後悔は消えない。

<東日本大震災>娘2人失った父、悲しみから一歩…石巻


うちは貧乏ですが、これだけはいいと思っているのは、毎晩子どもと同じ部屋でずっと寝ている、ということです。最近では子どもも大きくなり、思春期を迎える数年後にはそうもいかないと思っていますが、赤ん坊の頃からずっと寝顔を横で見ていることで、心豊かになれたと思う部分も大きいですし、精神的に不安になった真夜中などには、寝ている子どもの小さな頭を眺めていることで、不安から逃れられたという体験もありました。貧乏もそう悪いことばかりではありません・・・

少し話はそれるかもしれませんが、ふと頭に浮かんだこと・・・
これは三菱端島坑のあった軍艦島のアパート。現在では結構有名な観光地?ともなったようですが・・・
見えているのは9階建てのアパート「日給社宅」の屋上部分です。
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このアパートの2階(と言っても1階は半地下だったので、実際はグランドレベルに近かった)の平面図です。この社宅の2階なんていうのは、一日中ほとんど陽もささないので、薄暗くてじめじめしていたのですが、ご覧ように22戸の「家庭」が並んでいました。6畳と4畳半(或いは2畳)と狭いながらも、家族は仲良く寄り添って眠っていたわけなんですね・・・。
ガイド時代、軍艦島ツアーに来ていたイングランドの若い設計士に、「狭いからこそ、家族の繋がりは強かったんだ!」と力説したこともありましたっけ・・・
たとえ薄暗くてじめじめしていたとしても、この1戸1戸の中には明るくて穏やかな「家庭」があったのだ、ということを訪れる多くの方にどうかわかって欲しいものです・・・。
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日々の「小さな願い」を大切にすることが、いかに大事なことかを、記事は教えてくれるように思います・・・。

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NTT東日本のCM

いつか、ずっと以前、友人が取り上げていた動画。
ふと、見てみると「NTT東日本」のCM動画。
今、おそらく必死で復旧作業を行っている、同社が、こんなにも胸を打つCMを配信していたことが、ことさら胸を熱くさせます・・・・

がんばれ!東日本












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何もない日常・・・

「何も無い日常」がいかに大切で尊いか、ということを今回の震災は教えてくれる・・・・数日前、ラジオから流れてきた言葉です。

穏やかな春の一日。
バイクで長崎市南部を走っていると、「愛と平和」というレリーフの埋め込まれた家族の像と、その脇で落ち葉を掃いているヒト・・・。
「お疲れさんです」と声を掛けると、「ああ、どうも」と。 何の見返りも注目も期待しない行い・・なんですね。
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市民病院から帰ろうとすると、歓迎遠足らしい小学生たちの一行が、通り過ぎて行きました。
黄色い帽子で、新一年生は、すぐにわかります。どうやら佐古(さこ)小学校の子どもたちのようでした。
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6年生が新1年生と手をつないで引率しています。やはり、子どもの数が減っているのか、2人の6年生が1人の1年生と手をつないでやっていますね・・・。
6年生なんて、まだまだ子どもなのですが、こうした姿を見ると、なかなかどうして、頼もしいもんですね。

こういう何気ない光景こそ「何気ない、尊い日常」なのだ・・・という気がします。
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新1年生たちを交通事故から守ってくれる、黄色い「交通安全帽」は、交通安全協会から無償で提供されたものです。
同協会には、何かと批判などもあるようですが、元々この「黄色い帽子」を児童に無償で配るようになったいきさつ、というのは・・・昭和40年代、モータリゼーション全盛時に、子どもの交通死亡事故が激増し、「なんとか、事故から子どもたちを守ろう」・・・ということから始まったのだ、ということをラジオで聴いたことがあります。

私の子どもが、使っていた交通安全帽。1,2年と被って、3年からは「できたら被る」になって、皆が被らなくなって、クラスで最後のひとりになっても被っていた、その帽子。子どもの安全にひと役かってくれた、その帽子を、なんだか捨てる気になれません・・・・。
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震災から一ヶ月。サイトで調べると、少しずつ流通網や、インフラも回復しつつあるようです。
今すぐ被災地に向かうことはできない代わりに、福島・宮城・岩手県の比較的被害の少ない地域の、いくつかの図書館に、拙著ですが、自分が震災後4日目に刊行した本を送ることにしました。
今日、第1陣を送りました。
それが、いいことか悪いことかは、わかりませんが、ともかく、この本たちに全てを託します。今の私には、それぐらいしか、できることがありません・・・・



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柿の木と石垣~人が暮らした跡

数日前、武田鉄矢さんのラジオを聴いていると、民俗学者、宮本 常一さんを大好きだという話が出てきまして、納得したのですが・・・。
宮本氏が著作の中で、「様々な地方に残されている石垣を見るにつけ、当時の名も無き石工たちの(後世に残すべき)仕事に対する誇り高さを思い知った・・」ということを記していることを紹介していました。

これは時津町・西時津郷に残されている庄屋跡の石垣と柿の木です。
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私も宮本 常一さんの本で読んだことですが、以前は女の人が嫁ぐ時に、1本の柿の木を持っていったそうです。
柿は、実を食料にすることはもちろん、柿渋は染料や塗料、薬にもなりました。木そのものも、家具材として利用されるなど、誠に重宝な木だったわけです。
今では、柿の木そのものが、田舎にしか見られなくなり、たとえ実が枝の折れそうなほど実っていても、誰もとらなくなってしまったようです・・。
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人は去り、その後に石垣と柿の木が残されています。
古道沿いに残されている柿の木たち・・・。
昔、様々なお嫁さんが持ってきては、様々な生活があったのかもしれない・・・などと想像してみるのも一興かもしれませんね。
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年とってからがいい感じな?人・・・

250px-DavidFosterMar10デヴィッド・フォスター・・・TVに写る顔を見て、「白髪の似合う初老の人」だと思った。

グラミーを何回取ったとか、ヒラリー・クリントンやビル・ゲイツと交友があり、崖っぷちだったシカゴをヒットに導いた・・・だとかは、さして興味がない。
あえて取り上げたいと思ったのは、wikipediaの中の『・・・長期にわたり、小児癌、白血病、エイズなどの研究支援や内臓移植の必要な子供達への支援を行っている。彼の人道的支援に対し、カナダでの民間人の最高栄誉であるカナダ勲章を受勲。・・・・・』という部分。
こういうところが、白髪の似合ういい顔にしているのだろうと思った。

映画「セントエルモスファイアー」では彼が音楽を手がけている。
この映画、記憶では23,4才の頃、東京暮らしのビンボー時代(今もだが)、確か早稲田の名画座で観ました。大学出たてで、カネはなくても友達はいっぱいいて、互いに未来を語り合っていた頃の自分と重なり合って印象深かった・・・という記憶があります。その音楽を、この人が書いていたのですね・・・・。
ちなみにもうひとり、白髪の似合うと思う格好いい男は、うちの母方の叔父なのです・・・。

NHK連ドラ「ゲゲゲの女房」についての投稿

「なぜ学校はあるの・・・・?」
四月に入学した娘のこの問いに、ひと言で答えられない。
「仲良しができたら楽しい・・或いは、アイディアの豊かな先生が担任だったら面白くなる・・・・」なんて事を一生懸命頭の中で考えてみても、どうやら今の学校は自分のイメージにある昭和40年代の学校とは、かなり違っていることは間違いないようだ。

「なぜ戦争をしたの?」
・・・これもまったく、ひと言で説明できない。

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朝刊の投稿欄に、NHK連ドラ「ゲゲゲの女房」について秀逸なものが出ており、自分の考えていたこともピッタリだったのでうれしくなりました。佐世保市の同年齢の方でしたが・・・。

『(前略)・・・・・物語の展開に泣けたり、うれしさで心がいっぱいに満たされながら、夢中でした。なぜ、これほどこのドラマに入れ込んでしまったのか・・・。それは、主人公夫婦の生きた時代が、両親や私自身が生きた、いわゆる「昭和」の時代であり、登場人物の心の動きにぴったりと一致して共鳴できたからです。
 たとえ物で満たされていなくても、いつかはきっと・・・といういちずな思いや、前向きに努力をし、明るさを失わず、互いに助け合って生きていく姿が懐かしいのです。
 困っている人には自分のことよりもまず、そちらの心を支え、力を合わせて共に生き抜く。おおらかで、ひたむきな時代。そんな時代を懐古できるということは、逆に今、その時代に向かっているはず。・・・(後略)』


 

チャップリンの「KID」

子どもが夏風邪で高熱を出して3日目。解熱剤で3時間ほど下がった後は、またすぐに39度まであがります。これがもう56時間ほど続いています・・・。

子どもの看病・・・と言えばチャップリンの「KID」を思い出します。
貧民街に住むガラス職人の主人公(チャップリン)が、ひょんなことから拾ってしまった捨て子を育てるのですが、5才になったある日、病気になってしまったジョン(子ども)を手厚く看護するという、そのシーンをです。
その後、、町医者を呼んでしまった事から、ジョンは孤児院に送られそうになりますが、主人公であるチャップリンが死にものぐるいでたたかって、ジョンを奪還します・・・。

「親子」とは何か、「子どもを育てる」とは何か、そして「人間の尊厳ある暮らしというのは何か」・・・ということをいつの時代にも考えさせてくれる映画が、この「KID」であると思うのです。

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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。29年 あさひ日本語学校・校長職を兼任。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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