伊王島へつながる伊王島大橋の開通で、多くの車が通りすぎていく香焼町安保(あぼ)地区。
かつて、香焼が島であった頃の大正から昭和初期、ここは島の中でもっとも発展し、多くの人口を抱える賑わいのある場所だったのですが、今となっては、そんなことを知るよしもなく、すべては「まぼろし」のようです。

バス停だけが残された、ここ安保地区は、明治32年大阪舎密(せいみ)工業(株)の進出に始まり、以後、川南鉱山(株)、香焼鉱業(株)と発展してきた炭鉱町の中心地だったのです。

手前に見える2階建ての社宅は、つい2年前ぐらいまで残っていたのですが、解体・撤去され、ご覧のような更地となっています。
(画像は2009年、解体時)

手前に張り出しているのが、浴室です。海岸に近く、とても快適に住めそうなアパートだったのですが、勿体ないことです。
続きを読む
かつて、香焼が島であった頃の大正から昭和初期、ここは島の中でもっとも発展し、多くの人口を抱える賑わいのある場所だったのですが、今となっては、そんなことを知るよしもなく、すべては「まぼろし」のようです。

バス停だけが残された、ここ安保地区は、明治32年大阪舎密(せいみ)工業(株)の進出に始まり、以後、川南鉱山(株)、香焼鉱業(株)と発展してきた炭鉱町の中心地だったのです。

手前に見える2階建ての社宅は、つい2年前ぐらいまで残っていたのですが、解体・撤去され、ご覧のような更地となっています。
(画像は2009年、解体時)

手前に張り出しているのが、浴室です。海岸に近く、とても快適に住めそうなアパートだったのですが、勿体ないことです。
続きを読む