アトリエ隼 仕事日記

長崎の炭鉱・教会・対州馬などをご紹介しています。 多くの方が炭鉱時代の事を探しておられるますので、炭鉱記事へのコメントは、どうぞアドレスをお書き添えください。橋渡しいたします!

軍艦島・西彼炭田の炭鉱

軍艦島の灯

NPO軍艦島を世界遺産にする会・理事長、坂本道徳さんの著書「軍艦島の遺産」は私のお気に入りの1冊ですが、その中に、こういう一文があります。

『 ・・・一時、ここ(軍艦島)をライト・アップしようという計画があったらしい。しかし、私たちが求めている灯は、ライト・アップの、見せるためだけの灯ではなく、家族や家庭がともすほのかな裸電球のやさしい灯である。・・・ 』

昭和49年をもって、この島の全ての灯が消えて以来、夜間に灯がつくことはありませんし、第一夜間に上陸することすら叶いません。

もし昼間に、この景色を見たとしても、ただの「空洞」にしか見えないかもしれません。(画像は、許可を得た取材時に撮影したものです)
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しかし、ここは30号棟近くにある人道トンネルの入り口で、島の玄関口である「ドルフィン桟橋」まで続いています。つまり様々な「出会い」と「分かれ」が交錯した、住人にとって忘れ難い場所で、トンネル内にはポツリポツリと灯りがついていました。
現在、どの資料集や写真集にもこの場所を写したものが無く、この模型でしかその「トンネル内にともる灯」を見ることはできません。
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映画「 家族 」の中に見る、日鉄伊王島炭鉱

このトピックの目的はかつて伊王島坑で働かれ、今は遠方や海外などにおられる方に、当時の生活をひととき思い出して貰いたい、ということの一点に尽きます。

昭和45年に公開された松竹映画「家族」(監督:山田洋二)は伊王島から北海道へと移住する家族を描いたロード・ムービーです。
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ほぼ完璧に現存する炭鉱の島 池島の風景①

先日、かつて池島鉱で働いていたという方からメールを頂きました。
海外で生活をされているというその方は、閉山から10年たった今、池島をとても懐かしく思い出されるそうで、web上で池島の画像やトピックスなどをよく見られているそうです。
幸いにもこの池島鉱は、炭鉱の宿命とも言うべき「閉山後の取り壊し」を逃れ、今もその当時の姿をほぼ原型のまま保っています。
今回は、その方にお約束したとおり、池島鉱において撮影した写真を数回に分けてUPします。他人にはなんでもない1枚の写真が、かつてそこで働き、暮らしていた方にとっては「何ものにも代え難い励み」になるということもあるのかもしれませんね。

ここは坑道からあがってきた鉱員さんたちが入った浴場跡です。ボイラーで沸かすようになっていますね。今ではご覧のように器具置き場として使われています。
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(今回紹介する場所の中には、見学コースにはない、特別に見せていただいた場所も含まれていますが、目的は前文の通りですので、その点についてはご了承願います。)
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ほぼ完璧に現存する炭鉱、池島の「ステップUP池島まつり」に行こう!

昭和30年代にほぼ姿を消した炭鉱。国からの交付金を受けるためには、二度と採炭できないようにする為、坑口を塞ぐことが義務づけられていました。
また施設や住宅もそのまま放置したままであると、固定資産税の対象となったりするので、取り壊されたり、転売されるなどして、そのほとんどが姿を消してゆきました。

しかし、池島には、操業時代の炭鉱(ヤマ)ほぼ全てが残っています。こういう場所はおそらく日本ではココだけでしょう・・・
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そんな池島がいよいよ観光資源として動き出したようです。
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●トロッコ人車と坑道見学 (全長:300m 往復30分)
1.内  容: 乗車準備-トロッコ坑内移動-坑内案内10分-トロッコ坑内移動-降車
2.乗車人数: 20人(小学生以上)
3.体 験 料: 1人500円(子供同額)
4.受付方法: (予約先:長崎市地域振興課内 電話:095-829-1285)
   1.事前予約 電話受付 
   ・希望日と出発便 (下記運行便のうち事前予約便のみ)        
   ・住所  ・氏名   ・年齢   ・連絡先  
   2.当日受付 (池島特設会場で29日、30日の当日受付)
   ※当日は会場内で募集アナウンスを行います。 
5.乗車の注意事項
   1.服装:汚れ、しわになってもよい服装
   2.くつ:ヒール、サンダルは不可、汚れてもよいもの
   3.ヘルメット:着用(主催者が準備します。)

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軍艦島の基礎づくりを支えた、肥後の石工の技術とそのルーツ


ほぼ岩礁であった端島(軍艦島)に石炭があるとわかったのは、江戸時代からでしたが、なにせ東シナ海に面した外洋に位置する岩礁でしたから、当時の技術力で石炭を採掘しようとしても限界がありました。
もともとの島(岩礁)の面積は、今の約6分の1にすぎませんでした。
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採炭のための何らかの施設を作ったとしても、台風あるいは台風並みの風浪が押し寄せては、それらの施設を破壊してしまったわけです・・・・
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三菱崎戸炭鉱 ③ ~ 西海市崎戸町

最終3回目は、第二坑のあった本郷地区と港周辺、それに資料館の写真などを数点紹介したいと思います。

積み出しの行われていた現在の浅浦港です。手前の石積みは、かなり古い時代のものに見えました。
港の奥は、造船所なのですが、既に操業を止めてしまっているようでした。
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資料によると、造船所のある場所に、映画館があったようです。写真を見ると、「浅浦会館(浅は旧字体)」とあります。「賀正」という看板が掛けてあるところを見ると、お正月のようですね。それにしても、大きな建物です。
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現在の浅浦港付近です。
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炭鉱があった大正末期の写真です。山の上に鉱業所があるのが見えます。
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三菱崎戸炭鉱 ② ~ 西海市崎戸町

私にとって「崎戸炭鉱」のイメージは、なんと言っても、この写真です。一体何棟並んでいるのか、わからない位続く社宅群。初めて、これを見たのは、もう何年も前ですが、思わず感嘆の声が出たと思います・・・
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その炭鉱町には、病院、学校、劇場、市場、グラウンド、プール・・・などありとあらゆるものがあり、他の地区からここへ来る人も多かったと言います。
下は「福浦会館」という映画館(演芸場)です。
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この地にあった「昭和小学校(昭和43年廃校)」です。
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その最大の炭鉱町で栄えた福浦は、見渡す限り広がる「更地」と化しました・・・・。
何がどこにあったか・・・などということを考えることすらも、虚しくなります。
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このように、ほとんどが「立ち入り禁止」であって、歩ける場所には、なんにもないフラットな場所・・・ということなのです。
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三菱崎戸炭鉱 ① ~ 西海市崎戸町

崎戸町には「炭鉱跡記念公園」と歴史民俗資料館があるので、そこへよって情報収集をしてから、巡ることにしました。

炭鉱跡公園近く、草の生い茂る中に商店跡の看板だけが、ぽつんと残されていました。「酒」「塩」「たばこ」・・・いずれもヤマの男たちと家族には欠かせないものですね。
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崎戸町における炭鉱の歴史は大変古いのですが、大規模な操業となったのは、昭和15年に九州炭鉱汽船株式会社が三菱鉱業株式会社に合併し、「三菱鉱業株式会社崎戸鉱業所」としてスタートしてからでした。

炭鉱跡公園の土手には、古い坑口が残っています。かなり古いものらしく、崎戸出身である資料館長さんも、はっきりと年代、用途がわからないとのことでした。(昭和43年閉山です)
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また、この坑口跡の近くには、子どもたちが描いたであろう、鉱業所、人車、竪坑やぐらなどの絵がありました。こういうものが、心に響きますね・・・・
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松島炭鉱 ~ 西海市大瀬戸町松島

松島炭鉱沿革

近代炭鉱としては、明治18年、三菱合資会社の経営により竪坑開さく、採炭にあたるが、出水多く中止。
明治36年に佐賀銀行の創立者・古賀善兵衛が三菱の後を買収、第1~3坑を開き、大正2年に「松島炭鉱株式会社」となっています。同3年に4坑を開発。
その後、同5年に2坑水没。8年に1坑も水没という憂き目に遭っていますが、主力の4坑に力を注ぎ、大正6年~10年の間、全盛期を迎えています。
(画像は、積み出し港であった内浦港の当時の様子)
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当時は、松島の対岸、西彼杵半島の、多以良・雪浦・瀬戸といった村から、多くの村民が積み込み人夫として通勤し、半島の野菜なども流通して、大いに活況を呈した・・・とあります。
昨年、多以良小学校の新入生が確かひとり、とか聞いたような気がしますが、大正期はまったく違ったわけですね・・・
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鉱区は島の東部を中心に、5坑まで開かれたようですね。






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三菱横島炭鉱 ~ 長崎市香焼町

香焼町、香焼炭鉱の中心地であった安保地区から眼前の海を望むと、ちょうど潜水艦が浮上したような、岩礁が見えます。
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この岩礁がある場所こそ、三菱横島炭鉱のあった場所です。下の写真は、貴重な操業時代の横島ですが、あまりにも島の姿が違います。
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実は、この島、閉山後、海中に消えた「まぼろし」の島なのです・・・続きを読む



プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。29年 あさひ日本語学校・校長職を兼任。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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