タイトル通り、路面電車の軌道跡である斜面に出来た勝山市場にあった、なじみのお婆ちゃんのお店が、いつの間にか、ひっそりと閉店していました。
久しぶりに、あのお婆ちゃんのお店でパンを買って食べよう」と、久しぶりにやって来たのですが・・・・
数年前に撮ったお店。
うちの娘を、まるで自分の孫のように優しく接してくれたおばあちゃん。うちの「市場のおばあちゃん」でした。(2011年撮影)
はじめて、このお店に来た時、なつかしいサラダパンを見つけたことが、きっかけでした。私がパンを買うと、「余っとるけん」と言って、パック牛乳などをおまけにくれました。本当にやさしい人でした。
しかし、その後、サラダパンは入荷を止められたようでした。また、目の前にマンションが建った時、店の常連さんから「これで、お客の増えるたいね!」と言われたそうですが、マンションの住人はまったく店には来たことがなかったと話してくれたこともありました。
昭和29年まで路面電車の軌道が通っていた勝山市場は市役所などがある丘を登る斜面になっていました。すでに中の店舗はかなり閉まっていましたが、まだ通路には電灯が付いていて、賑やかな頃の名残がかすかに感じられました。
市場が斜面の軌道跡に建っていることは、外側からも確認できます。
店舗の上には、やはり居住空間があり、物干し台やエアコンなどが見えます。きっとここも他の市場と同じく、「市場は、ひと家族」のような賑やかであたたかなコミュニティがあったことでしょう。
平成28年撮影時の市場の内部です。市場を住処にしているのか、一匹の猫の姿が寂しく見えました。
勝山市場の反対側(下った側)の入り口です。中華料理店は、まだ営業していましたが、周りは閑散としていました。
2011年頃の同地です。まぁ撮影時の天気もだいぶ違うのですが、この頃はまだ向かって右側のパン屋さんも営業されておりました。まだ、中の方にも数店営業をされていたと記憶しています。
6年の間に、1軒、また1軒とシャッターを閉められてきたのでしょう。忙しさにかまけて、顔を出すことが出来ず、閉店前に「長い間、お疲れさまでした」とおばあちゃんに声をかけられなかったことが、今となっては心残りです。
写真を撮っていると、近くの小学校の先生と子どもたちが通り過ぎていきました。どこかへ見学へ行ったと思うのですが、おそらくこの市場のことも、軌道跡のことも全く知らないのでしょう。ましてや、この小さな店のお婆ちゃんのことも、意識したことはなかったでしょう。
現在の電車通りから、勝山市場方面に向かう交差点です。この交差点だけが不釣り合いに広くなっているので、昔の軌道跡と気付くことができます。
奥に「勝山市場」の看板が見えています。この辺りには「古町」という停留所があったのですが、軌道変更に伴って廃止となっています。
大正から昭和初期までのにぎわいを伺わせるかのように、交差点の反対側には、大きな町屋も残っていました。きっと多くの人の往来があったことでしょう。
軌道跡交差点付近を走る、路面電車208号。この車両は昭和25年製造ですから、「古町」電停にも停まり、勝山市場の斜面も登ったことがあるでしょう。
少し離れた場所にある公会堂付近を走る201号と364号。201号はやはり昭和25年製造の現役車両です。この公会堂も2017年現在、取り壊し工事が始まっています。また、新大工市場や思案橋の方の市場も閉鎖されるというニュースが流れています。三菱長崎造船も造船部門を分社化すると言っています。
長崎に帰ってくる人に、いつまで「なつかしい長崎の街」を残しておけるか、非常に心配です。この路面電車が無くなるような時が来るとすれば、それはもう、長崎でない別の街になってしまっているということなのでしょう・・・
はじめて、このお店に来た時、なつかしいサラダパンを見つけたことが、きっかけでした。私がパンを買うと、「余っとるけん」と言って、パック牛乳などをおまけにくれました。本当にやさしい人でした。
しかし、その後、サラダパンは入荷を止められたようでした。また、目の前にマンションが建った時、店の常連さんから「これで、お客の増えるたいね!」と言われたそうですが、マンションの住人はまったく店には来たことがなかったと話してくれたこともありました。
昭和29年まで路面電車の軌道が通っていた勝山市場は市役所などがある丘を登る斜面になっていました。すでに中の店舗はかなり閉まっていましたが、まだ通路には電灯が付いていて、賑やかな頃の名残がかすかに感じられました。
市場が斜面の軌道跡に建っていることは、外側からも確認できます。
店舗の上には、やはり居住空間があり、物干し台やエアコンなどが見えます。きっとここも他の市場と同じく、「市場は、ひと家族」のような賑やかであたたかなコミュニティがあったことでしょう。
平成28年撮影時の市場の内部です。市場を住処にしているのか、一匹の猫の姿が寂しく見えました。
勝山市場の反対側(下った側)の入り口です。中華料理店は、まだ営業していましたが、周りは閑散としていました。
2011年頃の同地です。まぁ撮影時の天気もだいぶ違うのですが、この頃はまだ向かって右側のパン屋さんも営業されておりました。まだ、中の方にも数店営業をされていたと記憶しています。
6年の間に、1軒、また1軒とシャッターを閉められてきたのでしょう。忙しさにかまけて、顔を出すことが出来ず、閉店前に「長い間、お疲れさまでした」とおばあちゃんに声をかけられなかったことが、今となっては心残りです。
写真を撮っていると、近くの小学校の先生と子どもたちが通り過ぎていきました。どこかへ見学へ行ったと思うのですが、おそらくこの市場のことも、軌道跡のことも全く知らないのでしょう。ましてや、この小さな店のお婆ちゃんのことも、意識したことはなかったでしょう。
現在の電車通りから、勝山市場方面に向かう交差点です。この交差点だけが不釣り合いに広くなっているので、昔の軌道跡と気付くことができます。
奥に「勝山市場」の看板が見えています。この辺りには「古町」という停留所があったのですが、軌道変更に伴って廃止となっています。
大正から昭和初期までのにぎわいを伺わせるかのように、交差点の反対側には、大きな町屋も残っていました。きっと多くの人の往来があったことでしょう。
軌道跡交差点付近を走る、路面電車208号。この車両は昭和25年製造ですから、「古町」電停にも停まり、勝山市場の斜面も登ったことがあるでしょう。
少し離れた場所にある公会堂付近を走る201号と364号。201号はやはり昭和25年製造の現役車両です。この公会堂も2017年現在、取り壊し工事が始まっています。また、新大工市場や思案橋の方の市場も閉鎖されるというニュースが流れています。三菱長崎造船も造船部門を分社化すると言っています。
長崎に帰ってくる人に、いつまで「なつかしい長崎の街」を残しておけるか、非常に心配です。この路面電車が無くなるような時が来るとすれば、それはもう、長崎でない別の街になってしまっているということなのでしょう・・・
今年の春、久しぶりに訪れました。
江島さんが写真で紹介されている場所も何箇所かですが足を伸ばしました。