少子高齢化。同時に進行する過疎化。それは自治体消滅が明示されている本県において、年々深刻さを増しているように思われます。
南島原市。伝説の巨人、みそ五郎の見つめる雲仙山麓のこの地に、本年度27年度末をもって、6校(受け入れ校を含めると8校)もの小学校が、地域から消えてしまいます。
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本来であれば、長い歴史を持つそれぞれの学校を取材し、ていねいに記事を書かなければならないことは重々承知していますが、あまりの多さにそれができずにおります。

そこで、今回は「学校があった頃の音=子ども達の声々」を少しでも残したいと思い、短時間ですが動画を撮りました。

南島原市立龍石(たついし)小学校 (長崎県南島原市西有家町龍石795番4号・明治8年1月1日隅田村龍石名に開校)




裏門付近。
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画像を見るだけでは伝わりませんが、実際には校舎の中から子どもたちの賑やかな声が聞こえています。
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子ども達を見守り続けてきたであろう、小さな祠。
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子ども達の四季の活動が描かれたブロック塀も年々薄れていき、やがては消えてしまうのでしょう。
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風にはためく龍石小校旗。その名のごとく、龍が描かれています。
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文房具などを売っていたのでは?と思わせるお店の跡。
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南島原市立長野(ながの)小学校 (長崎県南島原市西有家町長野1776番地・明治7年6月 隅田村長野名後谷に開校)



「長野小学校前」バス停付近に設置された、閉校までの日数を知らせる掲示板。
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ちょうどこの日は運動会直前で、練習を行っているところでした。
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バス停の中に掲示してあった運動会の手作りポスターです。小学生だけではなく、地域の総合運動会となっていることがわかります。
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来年度からはこの道をずっと下っていた海岸近くにある西有家小学校へ通うことになります。
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南島原市立見岳(みたけ)小学校 (長崎県南島原市西有家町見岳1116番地・明治6年4月 村見岳名赤仁田に開校)




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校舎前からは、高岩山を望むことができます。
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たくさんの幟や、交通安全を促す看板。地域の人たちの願いがうかがえます。
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「見岳 心と心の あいさつ通り」とあります。
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逆光で見えにくいですが、坂を上がったところには古い門柱があります。
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見岳小学校も運動会の練習、真っ盛りのようでした。
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学校近くにあったマンホールの蓋。デザインはみそ五郎でしたが、心なしか寂しそうな表情に見えました。
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学校のすぐ横にある酒屋さんも、さみしくなることでしょう。
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南島原市立慈恩寺(じおんじ)小学校 (長崎県南島原市西有家町慈恩寺1373番1号・明治8年5月町(まち)村慈恩寺名西上木場にに開校)




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ここも最後の運動会直前という時期でした。
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子ども達を見守っていたお地蔵さん。
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慈恩寺小学校からは、となりの長野小学校が割合近くに見えます。しかし、両校の間には深く刻まれた谷があり、子どもが安全に登校するのは容易ではないという状況があります。
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南島原市立布津(ふつ)小学校 第一分校 (南島原市布津町甲381-1・明治34年4月 野田分教場より現在の第一分校が始まる)






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この航空写真を見比べると、旧校舎に比べて、現校舎はかなり縮小されていることが判ります。
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人数が少ないと難しい面もあることは間違いないでしょうから、統合したほうが良いという理論もわかりますが、反面、志を持った教師が実践する場も無くなってしまうことは大きな損失であると言えると思います。ましてや、地域にとっては将来において、かなり大きな損失になるのではないでしょうか・・・?
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南島原市立布津(ふつ)小学校 第二分校 (南島原市布津町丙825-1・明治43年木場にて第二分教場より現在の第二分校が始まる)




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小さな飼育小屋。
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中にはまだ鳥がおり、なんだかほっとしました・・・。
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画面で見ると静かですが、校舎内からは賑やかな子ども達の声が響き渡っていました。やはり、子ども達の姿、声々は、その地の希望そのものだと感じました。
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古い写真には、校庭に並んだ多くの子ども達の姿が見えます。
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海へと下ってゆく道。
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記事なのに、「言葉」をなくしてしまいました・・・・。「学校があった頃の音=子ども達の声々」と画像たちが、少しでも何かを語ってくれたら、と思います。最後に訪れた有明海には、ただ碧い海が広がっていました。いずれにしても、この地に暮らす子どもたちのこれからの幸を願うばかりでした。
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