
昭和34年の歌浦中学校の平面図。元々この地にあった歌浦小学校の東校舎を使用し、昭和22年に創設されました。元の東校舎は平屋建てであったのですが、図中にあるように昭和36年頃まで増改築が進められています。
当時隆盛を誇っていた日鉄鹿町炭鉱に勤める鉱員さん家族の小中学生すべてがここへ集まってきていたのですから、当時の賑わいぶりは想像に難くありません。また校区には深浦や神林などの炭鉱も含まれていました。
鹿町鉱、大加勢の炭鉱住宅街です。前加勢辺りであるかもしれません。
施設は人影もまばらでした。何かひとつでも小中学校時代の痕跡が残っていないかと進んでいきます。
平面図によるとこの建物から向こう辺りがかつての歌浦中学校になると思うのですが・・・
大きな木。高さから考えると、歌浦中学時代からあるものだと思うのですが、残念ながら確認できる写真などがありません。
同校は昭和24年と28年に学校植林を行い、同29年に「学校植林優秀校」として表彰を受けています。おそらく校地内にも多くの植樹などがなされたはずですが、この木も関係するのでしょうか?
駐車場へ上る階段。これはおそらくそのままなのでしょうね。
上の写真と比べると山の稜線が一致します。この場所に建っていたことは間違いないようです。
「学校植林優秀校」の表彰を受けた同じ年、「PTA運営優良校」の表彰も受けており、更にはこの年に「校旗」及び「校歌」を制定しています。この制作費用は保護者及び697名もの有志によって作り出されたものでした。
この校歌には、こううたわれています・・・・。
『
一、朝に仰ぐ蜂子山 夕べにのぞむ 加勢湾と
眺め美わしふるさとの あすの歴史を 築くもの
おお歌浦中学の 夢よ理想よ花と咲け
二、若草もゆる丘のうえ ちかいはたかき三つ柏
道をもとめてひたすらに 清く正しくすすむもの
おお歌浦中学の 意気よ誠よ光あれ
三、学びの庭の春秋に 香りも高し自治の花
我が師我が友手をとりて 愛と正義に生きるもの
おお歌浦中学の 若き命よ雲と湧け
』
・・・シンプルですが非常に力強くポジティブな歌詞ですね。
そして、これが校旗です。
PTA関係者や保護者さん、そして教師たちの気概の高さがうかがえますね。まだまだその余力はとどまるところを知らず、32年には文部省により「産業教育研究校」の指定を受け、33年に本発表会を行い、県内外から数百人の参加者を集めています。
まさに歌詞にある通り、明日の日本産業を背負う学び舎がここ県下有数の炭鉱町である加勢地区にあったわけですね。
36年には学級数19。生徒数937人を数えています。
(画像は加勢商店街を闊歩する中学生たち。)
しかし、その意気揚々たる学び舎も、昭和29年、日鉄鹿町鉱の閉山により様相は一転することになります。
毎年100人近くが減り続け、46年には学級数6、生徒数222人となり、遂には48年鹿町中学校との統合という名目で歌浦中学校の名はその歴史にピリオドを打ちます・・・。
川のほとりに、その統合記念碑だけがひっそりと立っていました。
その後、歌浦小学校は大加勢の鹿町鉱跡に、鹿町中学校は本ヶ浦鉱跡に新築移転しています。これはやはり炭鉱隆盛時代の住人達のスピリットを未来の青少年たちに託したということになるのでしょうね・・・
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お暑いですね。
この記事もしみじみとしていて良いです!
いつか私のブログでもご紹介したいと思っています。
ところで、浦上川の写真2枚と軍艦島の炭鉱住宅の写真2枚を今日お借りしました。
「悲しい風景と幸せな風景の大きな違い」という題目のついた記事です。
有り難うございました。
敬具、後藤和弘