佐世保市(旧北松浦郡)鹿町町鹿町田中にあった大石炭鉱。
下の地図には「御堂坑」や「新深江坑」とともにちゃんと「大石坑」と記されています。

しかし・・・・無いのです。大石鉱についての詳細も、一枚の古写真さえも。各時代の郷土史をみても、見つかったのは、「大石鉱・・・・詳細・調査」の記述だけです。
これ以上、情報収集の術がありませんし、今後も見つかる可能性は限りなく薄いのですが、こうしてweb上にUPしておけば、かつてそこにおられた方が見つけられて、記事を膨らませることができるかもしれません・・・。
鹿町町鹿町田中。googleやyahoo地図で検索しても、その地名は出てきません。これでは探しようもありませんね。
もちろん同地に炭鉱の名残りなどはまったく見受けられません。

下の地図には「御堂坑」や「新深江坑」とともにちゃんと「大石坑」と記されています。

しかし・・・・無いのです。大石鉱についての詳細も、一枚の古写真さえも。各時代の郷土史をみても、見つかったのは、「大石鉱・・・・詳細・調査」の記述だけです。
これ以上、情報収集の術がありませんし、今後も見つかる可能性は限りなく薄いのですが、こうしてweb上にUPしておけば、かつてそこにおられた方が見つけられて、記事を膨らませることができるかもしれません・・・。
鹿町町鹿町田中。googleやyahoo地図で検索しても、その地名は出てきません。これでは探しようもありませんね。
もちろん同地に炭鉱の名残りなどはまったく見受けられません。

「必ず何かあるはず」と思いながら歩き出しますが、今回はさすがに何の資料もなく指標になるものがありません。
ただ、選炭の必要性から炭鉱は川のそばにあることが多いので、この辺りもかつては社宅などが建ち並んでいたのかもしれません。

かと言って、まったく確証の乏しい記事を書くわけにもいかず、現地の方をさがしますが、民家すらもまばらで、やっと見つけたお墓掃除のおばあさんも「よく知らない」という答えでした。
仕方なく、先のほうに見える炭鉱住宅風の建物を目指します。

この住宅の建っている石垣で見つけた物。学生服のほうろう看板ですね。これはかつてこの地に多くの家族が暮らしていた、という何よりの証拠です。(幹線道路でもない畑の中に学生服の看板はまず出さないでしょうから)

ビンゴでした。もう住んではいないのだけど、たまたま掃除に帰ってきていた方にたずねてみると、「これは大石炭鉱の住宅やったとですよ!」とのこと。
だいぶ手が加えられていますが、2件長屋の大きな建物であったことがわかります。庭にある石組みは池の跡ですね。

出入り口や窓にちゃんと庇がついており、かなり丁寧な造りであったことがうかがえます。

かなり手が加えられているとはいえ、この社宅1棟が現存していることが、何より「大石炭鉱」の証しとなります。

この方のお話では、山手の貯水池付近に鉱業所があったとのこと。おそらく正面の土手付近がそうであったのでしょう・・。

そういう話を聞いた後では、風景の見え方が違うから不思議です。フラットな場所には社宅が建ち並び、子ども達は右手に見える山すそを通って「鹿町小」「鹿町中」に通ったことでしょう。
もしかしたら、この山々の稜線を覚えている方がおられるかもしれませんね。

2014年2月にお寄せ頂いたコメントを記事に付記させて頂きます。当時の様子をうかがい知ることのできる貴重なレポートですので。ありがとうございました。
『 大石炭鉱社宅写真 最後の9ページ に私たちの住んだ社宅が有りました。
前のお家は覚えあり農家で 小さい頃田植えを手伝いしお土産にタカラ団子をもらい
おいしく頂きました。
今 残る社宅は 山側にあり その下に 共同お風呂場があつた様な気がします。
写真の風景は懐かしく涙がでました。
社宅の上側に 炭鉱関係者の購買所と 車を止める車庫があり その広場で
みんなで独楽回し ぺチャ がんがん蹴り 時にはポン菓子がきて そろそろポーンと音がでるぞう 子供 大人 息をのんで待つていました。 美味かった あの味
今はもう味あうことは出来ませんし みんなで楽しく遊んだ広場は草だらけに
なっているだろうな 』
2017年9月ににお寄せ頂いたコメントを記事に付記させて頂きます。当時の様子をうかがい知ることのできる貴重なレポートですので。ありがとうございました。
『 最後の写真の手前の家は私の実家です。
私が物心ついた頃には大石炭鉱はありませんでした。
亡き両親や祖母達から聞いた記憶では、写真を撮られた場所から右手(山側)に行った
溜め池のあたりに坑口があり、そこまで社宅がびっしり建っていたと聞いてます。
左手に行った所にはせんたんば(洗炭場か選炭場?)跡があり子供の頃の遊び場でした。
抗口からせんたんばまでトロッコが走っていたとも聞いた記憶があります。
またこのあたりでは苗字の他に屋号みたいな呼び名があり、私の家は「ひわたし」と呼ばれ、
写真撮影場所のすぐ右手には「おおいしこう」(漢字不明)と呼ばれた家があったと思います。 』
*記事をご覧の皆様へ
皆様の心の通い合ったメッセージを拝読するたびに、「この記事を書いてよかった」と胸があつくなります。
やはり、故郷というものは、誰にとっても忘れることのできない、永遠のものであるということを教えてもらいました。
拙い記事ですが、これからも少しでも、皆様の旧交をあたためる場になれば幸いと願っております。
もし当時のお写真とか、記録など、何でもどういったものでも構いませんので、ございましたら、管理者まで、ご送付いただければ、記事の中に付け加えさせて頂ければと思っております。
メールでしたら、
hayanusa_ap_3@yahoo.co.jp
まで
ラインでしたら、管理者 江島のラインまで、送って頂ければと思います。
携帯電話番号は 090-8838-6389 です。
「友達追加用のQRコード」を貼っておきます。
皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧
ただ、選炭の必要性から炭鉱は川のそばにあることが多いので、この辺りもかつては社宅などが建ち並んでいたのかもしれません。

かと言って、まったく確証の乏しい記事を書くわけにもいかず、現地の方をさがしますが、民家すらもまばらで、やっと見つけたお墓掃除のおばあさんも「よく知らない」という答えでした。
仕方なく、先のほうに見える炭鉱住宅風の建物を目指します。

この住宅の建っている石垣で見つけた物。学生服のほうろう看板ですね。これはかつてこの地に多くの家族が暮らしていた、という何よりの証拠です。(幹線道路でもない畑の中に学生服の看板はまず出さないでしょうから)

ビンゴでした。もう住んではいないのだけど、たまたま掃除に帰ってきていた方にたずねてみると、「これは大石炭鉱の住宅やったとですよ!」とのこと。
だいぶ手が加えられていますが、2件長屋の大きな建物であったことがわかります。庭にある石組みは池の跡ですね。

出入り口や窓にちゃんと庇がついており、かなり丁寧な造りであったことがうかがえます。

かなり手が加えられているとはいえ、この社宅1棟が現存していることが、何より「大石炭鉱」の証しとなります。

この方のお話では、山手の貯水池付近に鉱業所があったとのこと。おそらく正面の土手付近がそうであったのでしょう・・。

そういう話を聞いた後では、風景の見え方が違うから不思議です。フラットな場所には社宅が建ち並び、子ども達は右手に見える山すそを通って「鹿町小」「鹿町中」に通ったことでしょう。
もしかしたら、この山々の稜線を覚えている方がおられるかもしれませんね。

2014年2月にお寄せ頂いたコメントを記事に付記させて頂きます。当時の様子をうかがい知ることのできる貴重なレポートですので。ありがとうございました。
『 大石炭鉱社宅写真 最後の9ページ に私たちの住んだ社宅が有りました。
前のお家は覚えあり農家で 小さい頃田植えを手伝いしお土産にタカラ団子をもらい
おいしく頂きました。
今 残る社宅は 山側にあり その下に 共同お風呂場があつた様な気がします。
写真の風景は懐かしく涙がでました。
社宅の上側に 炭鉱関係者の購買所と 車を止める車庫があり その広場で
みんなで独楽回し ぺチャ がんがん蹴り 時にはポン菓子がきて そろそろポーンと音がでるぞう 子供 大人 息をのんで待つていました。 美味かった あの味
今はもう味あうことは出来ませんし みんなで楽しく遊んだ広場は草だらけに
なっているだろうな 』
2017年9月ににお寄せ頂いたコメントを記事に付記させて頂きます。当時の様子をうかがい知ることのできる貴重なレポートですので。ありがとうございました。
『 最後の写真の手前の家は私の実家です。
私が物心ついた頃には大石炭鉱はありませんでした。
亡き両親や祖母達から聞いた記憶では、写真を撮られた場所から右手(山側)に行った
溜め池のあたりに坑口があり、そこまで社宅がびっしり建っていたと聞いてます。
左手に行った所にはせんたんば(洗炭場か選炭場?)跡があり子供の頃の遊び場でした。
抗口からせんたんばまでトロッコが走っていたとも聞いた記憶があります。
またこのあたりでは苗字の他に屋号みたいな呼び名があり、私の家は「ひわたし」と呼ばれ、
写真撮影場所のすぐ右手には「おおいしこう」(漢字不明)と呼ばれた家があったと思います。 』
*記事をご覧の皆様へ
皆様の心の通い合ったメッセージを拝読するたびに、「この記事を書いてよかった」と胸があつくなります。
やはり、故郷というものは、誰にとっても忘れることのできない、永遠のものであるということを教えてもらいました。
拙い記事ですが、これからも少しでも、皆様の旧交をあたためる場になれば幸いと願っております。
もし当時のお写真とか、記録など、何でもどういったものでも構いませんので、ございましたら、管理者まで、ご送付いただければ、記事の中に付け加えさせて頂ければと思っております。
メールでしたら、
hayanusa_ap_3@yahoo.co.jp
まで
ラインでしたら、管理者 江島のラインまで、送って頂ければと思います。
携帯電話番号は 090-8838-6389 です。
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皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
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当時の光景が見てみたいものです。
大石炭鉱は大正時代から採掘記録があり
屋敷ノ元炭鉱とつながりがあったようですね。