新港炭鉱。昭和26年、西村産業が九州鉱業より赤崎二坑を買収して改称。同31年12月に閉山。住所赤崎町。・・・これだけだと調べようもないのですが、幸い一枚の写真が残っています。しかも佐世保市最大のランドマーク、SSKの250トン・クレーンが写っているので、場所を特定する決め手となります。
赤崎炭鉱291

弓張岳の裾野の稜線とも照らし合わせると、おそらくこの辺りですね。正面奥に見えているのは、佐世保市立愛宕中学校です。こういうことを書くのがいいのかどうかは微妙ですが、鉱業所跡地の多くは校地や運動公園になっているケースが多いようです。上の写真からすると、学校上のグラウンドから山側に向かって、送炭線-坑口とつながっているようです。
DSCF2180

資料によると、昭和28年には100人近い鉱員さんが働いていたようです。
それにしても、この場所はその名の通り、港を望む丘で、大変眺望のいい場所です。おそらく二番方、三番方は入坑前・昇坑後に輝く夜の街の灯も眺めていたことでしょう・・・
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その面影はほとんど残ってはいませんが、付近を歩いてみると、もう使われていない古い木製の電柱がぽつんと立っていました。
DSCF2183

たった5年間ではありますが、ここにもヤマの男たちとその家族さん達の暮らしがあったことを忘れてはいけませんね・・。


平成27年2月、当時を知っておられる方より情報を寄せて頂きましたので、位地情報など一部転載させて頂きました。参考にされて下さい。


『 小生は昭和29年愛宕幼稚園に入園しましたが、愛宕幼稚園は愛宕中学校の旧木造校舎内にありました。
愛宕中学校は炭鉱の跡地ではなく、旧海軍の教育用の兵舎であり、階段教室や実験台を備えた理科室等設備が充実していました。
中学校の市街と反対側の山側(南側)に新湊炭鉱がありました。
炭鉱の建屋は中学校の建っているところからボタ山の斜面を階段で50段ほど上がったところに建っていました。 小生が赤崎小学校に入学した昭和31年に新湊炭鉱は閉山となりました。その後数年間はボタ山のまま放置されていましたが、SSKが用地を買収して、SSKの運動用のグランドとなりました。
昭和37年頃にグランドの南側の高台に佐世保市営住宅が建設されましたが、現在はそのあともありません。 』

*記事をご覧の皆様へ

皆様の心の通い合ったメッセージを拝読するたびに、「この記事を書いてよかった」と胸があつくなります。
やはり、故郷というものは、誰にとっても忘れることのできない、永遠のものであるということを教えてもらいました。
拙い記事ですが、これからも少しでも、皆様の旧交をあたためる場になれば幸いと願っております。
もし当時のお写真とか、記録など、何でもどういったものでも構いませんので、ございましたら、管理者まで、ご送付いただければ、記事の中に付け加えさせて頂ければと思っております。
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「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧


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