幼い頃、過ごした街。長崎市住吉の商店街にある個人商店がまた、店を閉めました。
オレンジ色の看板には「52年間、長年のご愛顧ありがとうございました」と書いてあります。

昭和33年に創業されたお店です。下の写真は昭和32年の住吉ですから、ちょうどこのような街なみの時代にお店を始められたということですね。まだこの街に映画館や銭湯があり、賑わいのあった頃です。

お店を覗いてみると、在庫の品物をほとんど、投げ売りのような値段で販売されていました。見ると、随分と古い「箸入れ」が。「カッパのカータン」。おそらく40年以上、売れ残っていた物ですね。自分が幼い頃、こういうのを持っていました。
「その頃売れていれば、子どものお弁当に添えられて、あちこちに行ったであろうに」と考えると、何とももの悲しく、他の器と一緒にレジに置きました。すると「これは、お金は要らない」と言われました。

40数年、倉庫で眠っていた、子どもの箸入れ。しかし、もうそのお店すら永遠に消えてしまいました。
せめてこの箸入れには、なんらかの活躍の場をつくってあげたい・・・と思うのです。
歳をとって、後継ぎがいないから辞めるのではなく、「売れない。まったく売れないから辞める」のだとか。
・・・私が生まれ育った街も、昔から残っているお店は、もう数えるくらいしか残っていません・・。
「長崎の街で・・・」 記事一覧
オレンジ色の看板には「52年間、長年のご愛顧ありがとうございました」と書いてあります。

昭和33年に創業されたお店です。下の写真は昭和32年の住吉ですから、ちょうどこのような街なみの時代にお店を始められたということですね。まだこの街に映画館や銭湯があり、賑わいのあった頃です。

お店を覗いてみると、在庫の品物をほとんど、投げ売りのような値段で販売されていました。見ると、随分と古い「箸入れ」が。「カッパのカータン」。おそらく40年以上、売れ残っていた物ですね。自分が幼い頃、こういうのを持っていました。
「その頃売れていれば、子どものお弁当に添えられて、あちこちに行ったであろうに」と考えると、何とももの悲しく、他の器と一緒にレジに置きました。すると「これは、お金は要らない」と言われました。

40数年、倉庫で眠っていた、子どもの箸入れ。しかし、もうそのお店すら永遠に消えてしまいました。
せめてこの箸入れには、なんらかの活躍の場をつくってあげたい・・・と思うのです。
歳をとって、後継ぎがいないから辞めるのではなく、「売れない。まったく売れないから辞める」のだとか。
・・・私が生まれ育った街も、昔から残っているお店は、もう数えるくらいしか残っていません・・。
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9歳の頃まで道ノ尾、岩屋に住んでいたので、買い物はお袋に連れられていつも住吉でした。
どこの市場もそうであったように住吉市場にも、卵屋さん・豆屋さんなど小さい専門店が並んでいましたね。
今のように大型ショッピングセンターがない時代で、みんな市場で買い物をするのが当たり前だったので、そんな小店でも商売として成り立っていたんだと思いますが、子供心にもいろんなお店があって不思議に思ったり、お袋が店の方と話をしながら物を買っていたことを覚えていますね。
そんな江島さんにもご心配いただいた私のお袋ですが、8月末に逝ってしまいました。
この記事を読ませて頂き、お袋に連れられ道ノ尾から住吉まで歩いていたことを思い出しました。
一度ゆっくり住吉から道ノ尾、岩屋あたりを歩いてみたいと思っています。
ありがとうございました。