下の写真は被爆直後のものですが、ご覧のように奥の「一本柱鳥居(二の鳥居)」の手前には、山王神社の一の鳥居が、ほぼ原型のままで仁王立ちしています。爆心地近くに立っていたものの、爆風の通り抜けた方向と水平方向であったため、倒壊せずに残りました。
しかし、原爆落下から17年後の昭和37年3月に、運送会社のトラックがこの鳥居にぶつかって倒して後、どこかに撤去して以来、行方が知れない・・というのです。
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平成5年の被爆50周年に、長崎県被爆者手帳友の会が長崎市議会に対し、一の鳥居の復元を陳情したらしいのですが、肝心の鳥居は現在でも行方不明となっています・・・・

その立っていた場所には、かろうじて片方の台座だけが残されています。
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これだけ大きな御影石づくりの鳥居が消えてしまう・・・というのは、何とも不思議なことです。戦後17年経っても、貴重な被爆遺構を保存しようという風潮が無かったのか、と思うと残念でなりませんね。
(側の案内板)
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一方、同じく片足だけになりながらも爆風に耐えた「二の鳥居」には、この日も多くの観光客の方が訪れていました。
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被爆直後の二の鳥居と被爆大楠。
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幻の一の鳥居は、市民からもその存在を忘れられつつあるようです。
被爆後の「復興のシンボル」であった一の鳥居が、再びこの地に立つ日は来るのでしょうか・・・・・。
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*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は戦争の悲惨さと平和の尊さを若者や子どもたちに伝えるです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月