1597年2月4日、寒さの厳しい深夜。26聖人を乗せた小舟は大村湾をわたり、ここ時津の港に着きました。もちろん宣教師たちキリシタンを西坂の丘で処刑するためです。

一行を乗船させた東彼杵郡東彼杵町の「乗船の地」が当時とほとんど変わらないと思われるのに対し、ここはまったくもって違う場所となってしまっています・・・

一行を乗船させた東彼杵郡東彼杵町の「乗船の地」が当時とほとんど変わらないと思われるのに対し、ここはまったくもって違う場所となってしまっています・・・
碑のある辺りは空港へ向かう桟橋・ホテルなどがありますが一帯は広く埋め立てられており、海岸線がまったく当時とは違います。

海岸部よりかなり内陸部にある八幡神社の敷地にある「ともづな石」。昔、船を係留する時に使ったということから、この名があります。昔の海岸部にあったものですが、これも昭和60年の区画整理事業の際に移されたものです。ちなみにこの石、不思議な力を持った奇石ということで、昔から崇敬されてきたそうです。

26聖人の上陸した時代とは比べものになりませんが、写真は明治30年ころの時津港付近です。これ以上古い写真というのは、おそらく現存しないでしょう・・

2月4日の深夜に時津港についた26聖人たちは、多くのキリシタンたちが過剰に反応することを恐れ、そのまま上陸せずに船中で夜を明かし、翌5日に時津街道~浦上街道を経て、西坂の丘へ向かっています。
それから400年以上も経った今、その面影を追うことは不可能と思われるかもしれませんが、時津川から岩屋神社、住吉神社、山王神社と続くそのルートは、驚くほど当時の面影を有しています。
大々的に切り拓かれた打坂以外は、当時とほぼ変わりないルートを辿りながら歩くことが可能です。
昔ながらの時津川の川面。流れの中に見える岩は昔から人の手の加わっていないもので、26聖人の一行が目にしたものと唯一変わっていない景観とも言えるでしょう・・・

水車も多かったという、この時津川のそばに立つのが、長崎外国語大学。この川沿いを毎日多くの外国人学生が歩いているのを見かけます。一見、へんぴな場所で、通うのには大変そうな場所にあるわけですが、この小さな川にも、長い歴史と文化があったのだ、と気づいてもらうような機会があればうれしい限りです。


海岸部よりかなり内陸部にある八幡神社の敷地にある「ともづな石」。昔、船を係留する時に使ったということから、この名があります。昔の海岸部にあったものですが、これも昭和60年の区画整理事業の際に移されたものです。ちなみにこの石、不思議な力を持った奇石ということで、昔から崇敬されてきたそうです。

26聖人の上陸した時代とは比べものになりませんが、写真は明治30年ころの時津港付近です。これ以上古い写真というのは、おそらく現存しないでしょう・・

2月4日の深夜に時津港についた26聖人たちは、多くのキリシタンたちが過剰に反応することを恐れ、そのまま上陸せずに船中で夜を明かし、翌5日に時津街道~浦上街道を経て、西坂の丘へ向かっています。
それから400年以上も経った今、その面影を追うことは不可能と思われるかもしれませんが、時津川から岩屋神社、住吉神社、山王神社と続くそのルートは、驚くほど当時の面影を有しています。
大々的に切り拓かれた打坂以外は、当時とほぼ変わりないルートを辿りながら歩くことが可能です。
昔ながらの時津川の川面。流れの中に見える岩は昔から人の手の加わっていないもので、26聖人の一行が目にしたものと唯一変わっていない景観とも言えるでしょう・・・

水車も多かったという、この時津川のそばに立つのが、長崎外国語大学。この川沿いを毎日多くの外国人学生が歩いているのを見かけます。一見、へんぴな場所で、通うのには大変そうな場所にあるわけですが、この小さな川にも、長い歴史と文化があったのだ、と気づいてもらうような機会があればうれしい限りです。
















