佐世保市木風(きかぜ)町1403番地にあった不動(ふどう)炭鉱。偶然ですが、ここは私が教師時代に5年間暮らした町のすぐ隣りにありました。
鉱業権者、河内 進。操業開始・昭和28年12月24日、職員18名、労務員数120名(昭和35年時)、閉山・昭和38年2月。炭鉱誌にも郷土資料にもほとんど資料がなく、わかるのはこれだけです・・・・
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案内板には「不動の滝」「不動炭鉱」・・・とありますが、どちらも地図上にもネット上にも現れません。小さな谷間にある小さな滝のそばに10年ほどあった炭鉱なのですね・・・。

地元の方の話では、この狭い地域に100~200人あまりの人がいて採掘をしていたそうです・・・

もちろん施設も何も残ってはいません。唯一、炭鉱時代のものだと思われるものは、この「2」とペイントされた洞窟入り口だけです。見てわかるとおりこの辺りは岩盤に挟まれているため、自然の洞窟などを利用したものであるように見えました。残念ながら水路の向こう側にある為、中を確認することはできませんでした。
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いかにも鉱業所の造成地に残っている石垣・・。苔のつき具合などからいって炭鉱時代に築かれたものでしょう。
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なぜ、こうしてまで炭鉱の、炭鉱町の跡を追うのか・・?
その答えは明確です。特に昭和30年代くらいまでの炭鉱町に顕著に存在した、「血の通ったコミュニティー」を掘り出し、未来に役立てるよう保存する為です。
本日も福岡で若い母親が1歳8ヶ月の我が子を絞殺するという痛ましいニュースが流れていました。しかしそれは、とりたててめずらしいことでもなく、多分数日後には人々の記憶からも消えていくでしょう・・・
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しかし、現代はあまりにも人々がばらばらで孤立しており、特にシングル・マザーと呼ばれる母親たちは十分な援助もなく精神的にも経済的にも追い込まれてしまっているようです。

また今の子どもは、よその家でご飯を食べたり、お風呂に入ったり、泊まったり・・という経験がほとんど無いようです。私たちが幼い時代にはまだそういうことが普通にあって、そういう部分で親子とも救われていた部分が大きかったと思います。それがただ貧しいだけの今の時代とは大きな違いだという気がします・・。
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問題を解決していくための鍵が、こういった炭鉱町などにあった庶民文化であり、よりよい社会を取り戻すための、言わば「文化遺産」だと思うのです・・・・。
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「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧


(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月

*記事をご覧の皆様へ

皆様の心の通い合ったメッセージを拝読するたびに、「この記事を書いてよかった」と胸があつくなります。
やはり、故郷というものは、誰にとっても忘れることのできない、永遠のものであるということを教えてもらいました。
拙い記事ですが、これからも少しでも、皆様の旧交をあたためる場になれば幸いと願っております。
もし当時のお写真とか、記録など、何でもどういったものでも構いませんので、ございましたら、管理者まで、ご送付いただければ、記事の中に付け加えさせて頂ければと思っております。
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