ふと見ると、前のバスの行き先が「池野、柚木・・」と・・・。この文字を見て「国鉄柚木線沿いの炭鉱町を行くルートだ」とイメージするヒトは、どのくらいいるだろうか・・と思ってしまいました。
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池野バス停。特別な経由地でもなく、一日にどれくらいの人が乗降するだろうか・・というような場所ですが、ここ池野地区こそ、8坑を有した日鉄池野鉱の中心地であり、炭都(そんな言葉はないですが)と読んで差し支えない場所でした。
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その面影は今ではすっかり失われてしまっていますが、近くの保育園のそばには池野鉱の遺構らしきものが残されています。
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いぶかしげな顔をしている保育士さんにことわって、近寄ってみました。・・・これは見た目そのままのごとく、門柱であるようです。
池野本坑は、記録によると幅8m・長さ1kmの水平坑道があり、これを佐世保海軍工廠の地下工場にするという案もあったようですが、結局実現することもなく終戦直前の昭和20年6月に閉山を迎えています。もし地下工場案が実現していたら、貴重な遺構として今日まで保存してあったかもしれません・・・
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付近には、割れた瓦片。鉱業所の建物のものでしょう・・・。
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保育園の花壇をふと見ると、やはり土と石炭がけっこうな割合で混ざっていました。何にせよ、この場所が子どもたちのために使われている、ということはいいことですね。
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炭都であったもうひとつの証し・・かつてこの近くに国鉄柚木線の駅「肥前池野駅」がありました。駅があった場所は児童公園となり、駅があったことすら忘れられているような感があります。
写真は佐々駅で撮影された1両だけのディーゼルカー、キハ02ですが、廃線直前までは柚木線をこの車輌が走っており、廃線後はこのキハ02が車輌図書館として池野駅跡に置かれていたようです。傷みがはげしかったのかもしれませんが、こちらも保存車輌となっていれば、歴史資料としての価値は限りなく高かっただろうと思うのですが、残念なことです・・・。
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「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧

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(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月