来年3月に閉鎖・取り壊しが決まっているという長崎市中心部の「大黒・恵美須市場」で、今もなお店を開いているK鮮魚店さんにお話をうかがうことができました。Kさんは、以前仕事でお世話になった方のご両親というご縁でお伺いすることができたのですが、お二方とも本当に「これが長崎の商い人!」というような、大変いい方でした。
家庭訪問の為、早く帰宅していた娘連れでしたが、娘にも大変優しく接していただきました。

左側の奥さまは、昭和31年にこの市場が出来て以来、この市場を「故郷」として育った方です。
下は、まさにこの市場から嫁いだ時のお写真ですね。
当時は、お店の家族の大半がお店の上の部屋に住んでいたので、市場の住人全部が家族みたいなつながりがあったそうです。白無垢姿の後ろには、そんな住人の方の姿が見えますね。とろ箱に登っている男の子もいますね・・・・女の子の笑顔も印象的です。

今年で55年目の「大黒・恵美須市場」。市場の起こりは、現在のJR長崎駅付近にあった店舗群を市の指導により現地(暗渠)に移したことだそうです。つまりここは市の指導により合法的に建っているわけなんですが、55年間という月日の経過によるコンクリート地盤の傷みにより、これ以上の契約は安全上更新できない・・というものらしいのです。
これについては、いくらでも反論の余地はあると思うのですが、何せ55年の間に「魚市場の移転」「大型商業施設の建設」が、同市場に大打撃を与えてしまい、残っている店舗の主さんたちも、反対する気力をなくした・・という状況があるのだ、とおしえてくれました。

かつて魚屋さんが多かったということで、今もこの市場にはネコが多く住み着いているのだそうです。「この市場が無くなったら、ネコたちはどうするんでしょうね・・・」とKさんは話されていました。
家庭訪問の為、早く帰宅していた娘連れでしたが、娘にも大変優しく接していただきました。

左側の奥さまは、昭和31年にこの市場が出来て以来、この市場を「故郷」として育った方です。
下は、まさにこの市場から嫁いだ時のお写真ですね。
当時は、お店の家族の大半がお店の上の部屋に住んでいたので、市場の住人全部が家族みたいなつながりがあったそうです。白無垢姿の後ろには、そんな住人の方の姿が見えますね。とろ箱に登っている男の子もいますね・・・・女の子の笑顔も印象的です。

今年で55年目の「大黒・恵美須市場」。市場の起こりは、現在のJR長崎駅付近にあった店舗群を市の指導により現地(暗渠)に移したことだそうです。つまりここは市の指導により合法的に建っているわけなんですが、55年間という月日の経過によるコンクリート地盤の傷みにより、これ以上の契約は安全上更新できない・・というものらしいのです。
これについては、いくらでも反論の余地はあると思うのですが、何せ55年の間に「魚市場の移転」「大型商業施設の建設」が、同市場に大打撃を与えてしまい、残っている店舗の主さんたちも、反対する気力をなくした・・という状況があるのだ、とおしえてくれました。

かつて魚屋さんが多かったということで、今もこの市場にはネコが多く住み着いているのだそうです。「この市場が無くなったら、ネコたちはどうするんでしょうね・・・」とKさんは話されていました。
昭和31~32年頃は、この市場の最盛期だったそうです。皆さん早朝5時に起き、開店の準備をしていたそうです。そして、市場の通路が人の波でぎっしりと詰まったそうです。
それから月日が過ぎ、段々とお客の数が減り、そしてお店が1軒、また1軒と閉まっていったことが、本当に辛く寂しいことだったということです。尤もなことです・・・

ちょうど「シャッター・ギャラリー」として市場の方を撮った写真展があっていました。詳しくは聞けなかったのですが、写真を撮ったのは、この市場で生まれ育った方かもしれません・・・

もうこの市場の廃止・解体をくい止めることは無理なのかもしれませんが、せめて最後の1年をこういう風に盛り上げる、花を添える・・・というのは、素晴らしいことですね!

写真の中の皆さんは、どなたもいい顔をされていました・・

お話をうかがったKさんの写真も・・・

手に持たれているのが、このお写真です。私のミスで、ちょっとぼやけてしまっていますが、市場で撮った数少ない写真なのだそうです。

看板犬ですね。今もがんばっています。






Kさんのお店にも貼ってあったカレンダー。写真は軍艦島です。今、軍艦島には全国から「ひと目みたい!」として多くのゲストが訪れています。ガイド時代に感じたことは、そのゲストの多くの方は、「当時の人の生活の跡」を見たいからこそ、わざわざ時間とお金をかけて、やってくるのだ・・ということでした。

この「大黒・恵美須市場」はそういう意味で言えば、今も生きている「貴重な長崎の遺産」なのです。近代化遺産化か、歴史遺産か?そういうカテゴリーはよくわかりませんが、ともかく市場を外側から眺めた景観は見る者を圧倒するものがあります、これは55年の間に、人が増築・改築を重ねながら造り上げた、まさに「芸術的な建築物」なのです。こういったものは、誰かがデザインしてお金をつぎ込んで出来るというようなものでは決してありません。失われると、二度と再生不可能なものなのです。

ともかく・・・今もまだ生きて呼吸をしている、この市場を、遺産を、芸術的建築物を、そして何よりここに生まれ育った人にとって、かけがえのない故郷を、ぜひ直に見て欲しいと願ってやみません。

「長崎の街で・・・」 記事一覧
それから月日が過ぎ、段々とお客の数が減り、そしてお店が1軒、また1軒と閉まっていったことが、本当に辛く寂しいことだったということです。尤もなことです・・・

ちょうど「シャッター・ギャラリー」として市場の方を撮った写真展があっていました。詳しくは聞けなかったのですが、写真を撮ったのは、この市場で生まれ育った方かもしれません・・・

もうこの市場の廃止・解体をくい止めることは無理なのかもしれませんが、せめて最後の1年をこういう風に盛り上げる、花を添える・・・というのは、素晴らしいことですね!

写真の中の皆さんは、どなたもいい顔をされていました・・

お話をうかがったKさんの写真も・・・

手に持たれているのが、このお写真です。私のミスで、ちょっとぼやけてしまっていますが、市場で撮った数少ない写真なのだそうです。

看板犬ですね。今もがんばっています。






Kさんのお店にも貼ってあったカレンダー。写真は軍艦島です。今、軍艦島には全国から「ひと目みたい!」として多くのゲストが訪れています。ガイド時代に感じたことは、そのゲストの多くの方は、「当時の人の生活の跡」を見たいからこそ、わざわざ時間とお金をかけて、やってくるのだ・・ということでした。

この「大黒・恵美須市場」はそういう意味で言えば、今も生きている「貴重な長崎の遺産」なのです。近代化遺産化か、歴史遺産か?そういうカテゴリーはよくわかりませんが、ともかく市場を外側から眺めた景観は見る者を圧倒するものがあります、これは55年の間に、人が増築・改築を重ねながら造り上げた、まさに「芸術的な建築物」なのです。こういったものは、誰かがデザインしてお金をつぎ込んで出来るというようなものでは決してありません。失われると、二度と再生不可能なものなのです。

ともかく・・・今もまだ生きて呼吸をしている、この市場を、遺産を、芸術的建築物を、そして何よりここに生まれ育った人にとって、かけがえのない故郷を、ぜひ直に見て欲しいと願ってやみません。

「長崎の街で・・・」 記事一覧
















大黒市場の記事は、
何度か長崎新聞で読んでいました。
小学生ぐらいの男の子が、
毎朝笑顔で挨拶をしながら登校する写真を覚えています。
記事のシャッターギャラリーのなかに、
閉店の挨拶で おかずや と言う張り紙の写真が有りましたが、
私も以前、五島市中央市場(旧福江市)にて、惣菜屋をやっていました ・・・・
屋号が おかずや でした。
以前、シャッターギャラリィーは,【どこかの高校生が撮影】と聞いていましたので検索してみました、
参考まで。
消えゆく戦後の市場を高校生が撮影-大黒市場でシャッター写真展
長崎経済新聞より
http://nagasaki.keizai.biz/headline/222/