里山炭鉱・・・・明治時代からスラで採炭し、人力で降炭していたようです。一度は廃坑の憂き目に遭遇しながらも、昭和12年、再開を果たしています。
当時の写真としては、この1枚しかなく、おそらく何の跡も残っていないだろうと思っていたのですが・・・

はたして、今まで長崎県内で歩いてきた炭鉱町跡の中でも、西海市大島についで「炭鉱町の風情の多く残る」場所でした!
予想外のことです。
これはかなり大きな建物でした。幹部用の社宅か、集会場のようなものに見えました。

当時の写真としては、この1枚しかなく、おそらく何の跡も残っていないだろうと思っていたのですが・・・

はたして、今まで長崎県内で歩いてきた炭鉱町跡の中でも、西海市大島についで「炭鉱町の風情の多く残る」場所でした!
予想外のことです。
これはかなり大きな建物でした。幹部用の社宅か、集会場のようなものに見えました。

リフォームされていますが、しっかりした造りですね。山間の広い範囲に住宅が並んで建っていますが、陽当たりもよく、明るい町並みでした。

きっと住むのには、快適な場所でしょう・・・。かつて筑豊の炭鉱をまわってきた、という方とお話しすることができました。

天気が良く、多くの方が立ち話をしたり、犬の散歩などをされていました。

ここは住宅の上の球場になっている場所です。鉱業所の遺構などはまったく残っていませんが、位置関係からみて、この場所に鉱業所の施設があったことは、まちがいないでしょう。正面は、展望台のある公園となっていましたが、ボタ山の名残かもしれません。

とある民家の横にあった、かなり古い時代の炭住です。持ち主の方に許可をとって、見せてもらうことにしました。閉山後、炭鉱の払い下げを購入されたとのことで、今は農具置き場として使われていました。

煙突や入り口の数から、6戸が入居した炭住であったことがわかります。

中は相当に傷んでいましたが、間取りはわかりました。ここは、居間です。正面右が押し入れで、左が仏壇でしょう。

その反対サイドです。となりとの間にも押し入れがあったようです。

狭いスペースですが、縁側ですね。見えているコンクリートの台は、洗濯場でしょうか?

かつての住人の落書きか、この場所の住所が書かれています。

ここに多くの暮らしがあったことでしょう・・・

なんでもない、ひとつの古い建物から、多くの「炭鉱」が見えてくるような気がします・・・

毎年繰り返されたであろう、住人たちの賑やかな暮らし。

そう考えると、今でも物陰から子どもがふと飛び出てくるような気さえしてくるから不思議です。

すっかり痩せてしまった板塀。

朽ち果てつつありますが、こういった建物は、見る者に多くのインスピレーションを与えてくれるような気がします。
里山炭鉱は、昭和39年に閉山となりました。人々が去ってから、もうじき半世紀が過ぎようとしていることになります・・・。


「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧

きっと住むのには、快適な場所でしょう・・・。かつて筑豊の炭鉱をまわってきた、という方とお話しすることができました。

天気が良く、多くの方が立ち話をしたり、犬の散歩などをされていました。

ここは住宅の上の球場になっている場所です。鉱業所の遺構などはまったく残っていませんが、位置関係からみて、この場所に鉱業所の施設があったことは、まちがいないでしょう。正面は、展望台のある公園となっていましたが、ボタ山の名残かもしれません。

とある民家の横にあった、かなり古い時代の炭住です。持ち主の方に許可をとって、見せてもらうことにしました。閉山後、炭鉱の払い下げを購入されたとのことで、今は農具置き場として使われていました。

煙突や入り口の数から、6戸が入居した炭住であったことがわかります。

中は相当に傷んでいましたが、間取りはわかりました。ここは、居間です。正面右が押し入れで、左が仏壇でしょう。

その反対サイドです。となりとの間にも押し入れがあったようです。

狭いスペースですが、縁側ですね。見えているコンクリートの台は、洗濯場でしょうか?

かつての住人の落書きか、この場所の住所が書かれています。

ここに多くの暮らしがあったことでしょう・・・

なんでもない、ひとつの古い建物から、多くの「炭鉱」が見えてくるような気がします・・・

毎年繰り返されたであろう、住人たちの賑やかな暮らし。

そう考えると、今でも物陰から子どもがふと飛び出てくるような気さえしてくるから不思議です。

すっかり痩せてしまった板塀。

朽ち果てつつありますが、こういった建物は、見る者に多くのインスピレーションを与えてくれるような気がします。
里山炭鉱は、昭和39年に閉山となりました。人々が去ってから、もうじき半世紀が過ぎようとしていることになります・・・。


「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧
*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月)
*記事をご覧の皆様へ
皆様の心の通い合ったメッセージを拝読するたびに、「この記事を書いてよかった」と胸があつくなります。
やはり、故郷というものは、誰にとっても忘れることのできない、永遠のものであるということを教えてもらいました。
拙い記事ですが、これからも少しでも、皆様の旧交をあたためる場になれば幸いと願っております。
もし当時のお写真とか、記録など、何でもどういったものでも構いませんので、ございましたら、管理者まで、ご送付いただければ、記事の中に付け加えさせて頂ければと思っております。
メールでしたら、
hayanusa_ap_3@yahoo.co.jp
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ラインでしたら、管理者 江島のラインまで、送って頂ければと思います。
携帯電話番号は 090-8838-6389 です。
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皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
















私達は農業用の溜池近くに住んでましたが樹木に覆われてた社宅跡でしたので載せてある社宅は本当に懐かしかったです。落書きの住所自分の筆跡に似てた(笑)
38年振りに訪れた里山炭鉱跡地はひっそりとしてました。閉山前は里山だけでも大勢の人たちが居ました。閉山になって人口も急激に減ってしまったと思います。あちこちの炭鉱の記事や写真など炭鉱を詳しく取材されてるのに敬服しております。私達が住んでた以外の社宅は町営住宅として?残ってましたよ。有難う御座いました。