写真は、閉山の前年、昭和39年に撮られた扇平炭鉱の社宅群です。相浦川を見下ろす高台に、炭鉱町が広がっていました。
小学校1年で、ここへ移ってきた子どもなら、中2の夏休みで、他所へ転校していったことになりますね。

付近の親切な方に教えられて、同地へ向かってみると、当時の面影はこれっぽっちも残っておらず、わずかに「扇平産業」の看板のある建物が立っているのみでした・・・

ここまで変わってしまっていると、もはや歩いても無駄というものでしょう。かつての炭鉱町は、閑静な住宅街となっていました。
かつてここへ住んでいた人が、もし戻ってきたとしたら、何か記憶にあるようなものはあるのでしょうか?もしかすると、正面に見える岩山の形に、かすかな記憶を重ねるのかも知れません・・・・
鉄原(てつげん)三協炭鉱・・・・佐世保市竹辺町。こちらも開坑は昭和31年11月。そして閉山はひとあし早い昭和38年6月です。
北松方面に延伸しつつある、西九州自動車道を走っている時、「相浦中里IC」手前の山中の景色が、「どうも炭鉱っぽい!」と思っていたのですが、はたしてそこが、「鉄原三協炭鉱」でした。今では、コンクリート関連の会社があるようです。
ここも閉山から48年あまり。当時の面影を探すのは無理と、すぐに察しがつきました。あえて挙げるならば、付近も道路脇に炭層が露出している場所があり、それだけが、かつてここが炭鉱であったことを示しています・・・
人が住んでいた記録や写真などが見つからないことは、更に残念なことです・・・。
*記事をご覧の皆様へ
皆様の心の通い合ったメッセージを拝読するたびに、「この記事を書いてよかった」と胸があつくなります。
やはり、故郷というものは、誰にとっても忘れることのできない、永遠のものであるということを教えてもらいました。
拙い記事ですが、これからも少しでも、皆様の旧交をあたためる場になれば幸いと願っております。
もし当時のお写真とか、記録など、何でもどういったものでも構いませんので、ございましたら、管理者まで、ご送付いただければ、記事の中に付け加えさせて頂ければと思っております。
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「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧
*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月)
















詰まっています当時皆瀬小学校中学校は中里中学校に通学していました
高校まで18年間佐世保で過ごし貧乏生活も良い思い出に
なっております、すっかり風景は変わってますが将冠岳の姿は昔の記憶と大差ありません懐かしい写真ありがとうございます。現在大阪で暮らしていますが近々佐世保に
帰ろうと思っております。