今回は松浦(飯野)炭鉱施設及びボタ山などを紹介します。

名物だった鉱業所の3本煙突です。
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現在の同地です。正面の建物は社会福祉協議会の建物です。後ろに見える東八天岳で、かろうじて同じ場所であることがわかります。
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事務所から近かった新坑の石炭ポケットです。右奥の建物は昭和25年に焼失した松浦会館です。
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現在の同じ場所です。とても同じ場所とは思えませんが。右奥に見えるボタ山だけが、その名残と言えるでしょうか・・・
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昭和35年頃の鉱業所事務所付近です。
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現在の同地。見る方角が違いますが、ここは社会福祉協議会、炭鉱資料館、ゆりかご保育園などのある場所です。
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その炭鉱資料館に展示されている資料を少し紹介いたします。尚、撮影についてはご了解いただいております。

飯野炭鉱のパンフレットです。1961・・・昭和36年のものですね。写真は春日坑(現在の八天工業のある場所)のものだと思います。
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新坑ポケットと馬鉄エンドレスで結ばれていたのが、大正3に開坑された中央坑です。
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これが馬鉄。エンドレスということは、休まず運び続けたということでしょうね。馬たちは、どれだけ酷使されたことでしょうか・・・
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これはスラという石炭を運ぶための竹かごです。
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この写真は資料館のものではありませんが、写真の中の女性がひいているものが、スラです。これは水平な状態で引いていますが、狭く急な坑道内では、口にカンテラをくわえ、一歩足を踏み外すと自分や他人が大怪我をする、という過酷な労働環境でした。カンテラをくわえるため、歯もぼろぼろだったといいます。これが、昭和初期までの炭鉱における女性の労働の姿でした・・・
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地下足袋とわらじ、当然「安全靴」なんて無い時代です。考えられないですね。
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漆黒の闇である切り羽(きりは。坑道の最深部)付近では、唯一の灯りとなったキャップ・ランプ。お弁当箱みたいに見えるのは、バッテリーです。小さく見えますが、腰に下げると、ずしりと重いものです。
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カンテラ。キャップ・ランプが開発される前は、火をともす、このカンテラが使用されました。メタン・ガスや炭塵など、非常に引火性の強いものが充満する坑道内に、火を持って入る・・・このことが意味することは、説明するまでもないと思います。
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「演芸場」とあります。
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世知原駅構内で撮影された鉄道員たちです。
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かつての鉱業所病院のあった長生橋付近です。
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現在の長生橋です。川向住宅が建っており、当時の面影を残しています。
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鉱業所病院前でのひとコマです。赤ちゃんを背負った母親らの姿が見えます。
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雪の日の南新坑。現在の市立幼稚園がある場所です。
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現在の、南新坑のあった場所です。上画像に見える陸橋は現存しています。
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その陸橋から南新坑方面をのぞむと、手前の幼稚園(グリーンの屋根)の向こうに、ボタ山が見えています。
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そして、特筆すべきが、これです。
この南新坑のボタ山は、「かじか健康公園」となっています。その案内板には、「ピラミッド型ぼた山の原型をそのまま生かし・・・」とあります。
ボタ山が、これほど、堂々と市民の生活と健康に生かされている例も、他にないのではないでしょうか!
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私もぜひ今度、このボタ山に登り、頂上からすばらしい世知原の景観を味わいたい・・・と思っています。


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(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月