徳義炭鉱

昭和16年開坑 17年着炭。同年7月中島鉱業直営となり、19年4月より出炭開始。
30年4月 中島鉱業全山休山。同8月再開。
33年中島鉱業は中興鉱業を合併吸収。名称は中興鉱業とする。
36年同じ経営下の福島炭鉱と海面下300m、総延長3kmに及ぶ水平坑道で連結。
坑口を福島坑に集約。これにより、徳義坑は実質的な役目を終えています。 

現在の徳義坑、積み出し桟橋跡です。
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操業時の徳義坑。上の写真にはないボタ山が見えています。そして、入江の周りは、社宅や施設の建物でびっしりと埋まっています。現在は、水田や畑があるばかりで、当時の面影を示すものは、ほとんどありません。
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福島坑と連結した水平坑道。昭和32年当時では、画期的なことであったようです。
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炭層は「福島二尺層」です。一尺が約30cmですから、薄い炭層であることがわかります。
同町の歴史民俗資料館に展示してある「採炭」の模型です。
黒い部分が炭層ですが、膝をついたままの、苦しい姿勢で作業を行っていたことがわかりますね。
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桟橋は半世紀以上に渡り、波や潮風に洗われているはずですが、ことのほかしっかりとしています。
さすがに歩くのも怖いので、釣り人などもいません。
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付近に残る遺構です。クレーンか何かの根本ですね・・・
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施設跡。ブロックで造られ、箱状になっています。
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付近の砂浜。黒い砂に見えますが、実はこれ石炭粒の黒い砂浜になっています。これほど炭塊や炭粒が多く残されている場所もありません。石炭だらけ?です。
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これも付近の施設跡です。人気も無い、まさに静寂の世界です・・・・
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入江よりかなり上の方に残る施設跡です。何に使われたかまでは、特定できませんでした。
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今では、ほとんど乗降する人もないであろうバス停が、ぽつんと残されていました。
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バス停の向こう側に見えるのは、小さな商店跡。バスを待つ間、賑わったであろう情景が浮かんできます・・・
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福島町・最後のビルド鉱として躍進を続けた福島坑も昭和47年に閉山し、多くの人が島外に去りました・・・。
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2025年秋

かつて父親が徳義炭鉱で働かれていたという方から、閉山後ボタ山が埋め立ての為に撤去される様子をビデオ撮影されたものから画像として切り取ったものを送ってくださいましたので、記事に付け加えておきます。

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かろうじて炭鉱の所在の確認となっていた積み込み桟橋も長年の風雨と波浪によって、こんな状態となってしまっています。やがては、所在すらわからなくなってしまうのでしょうか・・・。
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(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月

*記事をご覧の皆様へ

皆様の心の通い合ったメッセージを拝読するたびに、「この記事を書いてよかった」と胸があつくなります。
やはり、故郷というものは、誰にとっても忘れることのできない、永遠のものであるということを教えてもらいました。
拙い記事ですが、これからも少しでも、皆様の旧交をあたためる場になれば幸いと願っております。
もし当時のお写真とか、記録など、何でもどういったものでも構いませんので、ございましたら、管理者まで、ご送付いただければ、記事の中に付け加えさせて頂ければと思っております。
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