伊王島へつながる伊王島大橋の開通で、多くの車が通りすぎていく香焼町安保(あぼ)地区。
かつて、香焼が島であった頃の大正から昭和初期、ここは島の中でもっとも発展し、多くの人口を抱える賑わいのある場所だったのですが、今となっては、そんなことを知るよしもなく、すべては「まぼろし」のようです。
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バス停だけが残された、ここ安保地区は、明治32年大阪舎密(せいみ)工業(株)の進出に始まり、以後、川南鉱山(株)、香焼鉱業(株)と発展してきた炭鉱町の中心地だったのです。
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手前に見える2階建ての社宅は、つい2年前ぐらいまで残っていたのですが、解体・撤去され、ご覧のような更地となっています。
(画像は2009年、解体時)
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手前に張り出しているのが、浴室です。海岸に近く、とても快適に住めそうなアパートだったのですが、勿体ないことです。





炭鉱町の全景です。koyagi728

山手である恵里地区の方まで、鉄筋コンクリートのアパートが建ち並んでいたのがわかります。近代的な町並みですね。
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そのアパート群も、全て解体・撤去されました。今では、アパートがそこにあったことを示す跡地だけが残っています。
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アパートに続く階段です。
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これはおそらく大正時代の安保地区です。見えている坑口(炭鉱の入り口)は本坑である海底斜坑であると思われます。
大きなレンガ造りの煙突は、発電所・ボイラー場のものでしょう。大正時代と言えば、まだ島のほとんどがランプを灯していた時代に、ここらでは電気がついていたことがわかります・・・
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古い時代には、ここ安保にある積み込み桟橋から、石炭の積み出しが行われていたようですが、広く埋め立てがされたことからもわかるように、この付近は浅瀬であったため、大型船の横付けは出来なかったようです。
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この埋め立て地には、やはり至る所に石炭が落ちています。
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そこで大きな港のある本村という場所まで石炭を運ぶためのトンネルが掘られました。
このトンネルは、戦前川南鉱山が着工後、放置したままであったのを、町が貫通させたものです。石炭を輸送するための軌道が敷かれているのが、わかります。
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現在の同場所です。まだこのトンネルは現役で使われています。
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かつて、安保地区の住人たちが、生活道路として使っていた、このトンネル・・・・
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かなり長く暗いトンネルなのですが、丁度取材時には、新一年生たちが、教師に引率されて下校しているところでした。
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「あ~やっと、出たばい!」という感じでしょうか。
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かつての鉱業所病院、病棟です。
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敷地のブロックだけが残されています。
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この炭鉱町での、かつての生活のスナップを少し紹介したいと思います。
まずこれは、お花見ですね。
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運動会でのスナップです。炭鉱の運動会というのは、「採炭」や「掘進」など、部署ごとの対抗になっていたことが多く、大変盛り上がったそうです。
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長崎の夏の風物詩、精霊流しですね。今では、長崎市内の精霊流しも寂しくなってしまいましたが、写真からは人が溢れているのがわかります。
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社宅の中にあった市場です。給料日の後、もっとも賑わう場所ですね。向こうには建設中のアパートが見えます。活気が伝わってくるようです・・・koyagi759

これは購買所の中の様子です。皆、下駄を履いているので、戦後間もない頃でしょうか。
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衣類を売っているようです。
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鉱業所の集会場です。随分と立派な建物です。きっと数々の催しがあり、賑わったことでしょう。
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昭和39年の閉山まで、この場所に、かくも賑わった炭鉱町があったことを、少しだけでも知っていただければ幸いです・・・・
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