松浦鉄道・中里駅。小さな駅で、平日の昼間には、ほとんど人影もありません。
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その中里駅の近くに、かつて中里炭鉱がありました。写真は、昭和16年に中里鉱・二坑繰込み場(坑道に入っていく所)前で撮影されたものです。時代はますます戦争に向かう頃で、手前には軍人の姿も見えます。何の目的で撮影されたものかは、わかりませんが、集まった子どもたちも、非常に堅い表情をしています・・・
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炭鉱の施設がどこにあったかを、追求するのが、このブログの本意ではないので、位置関係の説明は省略しますが、この中里駅は、最初に佐世保軽便鉄道が敷設された頃からある駅ですので、ちょっと線路脇に目をやると、やはり石炭の層が見られます。
中里炭鉱の引き込み線や、ホッパーも駅付近にあったので、その時に積みこぼしたものか、輸送途中でこぼれたものでしょう・・・
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その石炭のひとかけらを、ひろって、見やすいようにホーム上に置いてみました。
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駅の付近には、やたら空き地が目立ちます。こういうところが、かつてこの駅が石炭積込みや人々の行き来で賑わった時代を彷彿とさせますね。
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かつて日野炭鉱や紋珠岳炭鉱などとともに、佐世保を支えた中里炭鉱。
その歴史の一部分を少しだけ時系列に沿って紹介したいと思います。

(大正12年2月) 
二坑開坑。(のち東亜鉱業-中里炭鉱)

(昭和19年8月)
東亜鉱業所第五坑婦人会80人は、坑内作業班挺身隊結成 8日間幼児等を背負い、作業などの敢闘 同坑よりの謝礼金100円を献金

(昭和23年5月)
友鉱寮(100人)舎監 立石 登、私費13万円を投じて図書館建設300冊備付、楽団組織

(昭和29年6月) 
三坑閉山

(昭和30年)
4月 一坑閉山
5月 四坑閉山

(昭和41年) 
4月 従業員労組と職組の統一大会発足をかね、労組創立20周年記念式、佐世保市民会館 こども会の「おとうさん元気でいってらっしゃい」の合唱で開幕 (中略) 午後、慰労会、北島三郎の歌   

9月 映画「お父さん元気で」、皆瀬小で試写会 制作、中里炭鉱青空こども会 フィルム2,000フィート 50分
大村発電所の煙突から始まり、第一章石炭、第二章安全、第三章生活 で、北松の廃坑の様子も取り入れ、最後は坑内へ入坑する父達を歌で励ましておくるとこで終わる。 

(昭和42年1月15日)
閉山

41年の20周年記念式典の賑やかさが推測できるだけに、9か月後の閉山時の寂しさがしのばれます・・・
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*記事をご覧の皆様へ

皆様の心の通い合ったメッセージを拝読するたびに、「この記事を書いてよかった」と胸があつくなります。
やはり、故郷というものは、誰にとっても忘れることのできない、永遠のものであるということを教えてもらいました。
拙い記事ですが、これからも少しでも、皆様の旧交をあたためる場になれば幸いと願っております。
もし当時のお写真とか、記録など、何でもどういったものでも構いませんので、ございましたら、管理者まで、ご送付いただければ、記事の中に付け加えさせて頂ければと思っております。
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「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧



(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月