佐世保市・日鉄池野鉱は、自然条件も割合良く、順調に出炭していましたが、戦時下にあった当時、カロリーの高い原両炭を優先させる政策がとられ、一般炭しか産出しないということで昭和20年(1945)6月に閉山となりました。
これは現存する、池野炭鉱の施設です。おそらく佐々・江里鉱と同じく、ホッパーを住居用に改造したものであると思われます。
江里炭鉱記事へ


これは現存する、池野炭鉱の施設です。おそらく佐々・江里鉱と同じく、ホッパーを住居用に改造したものであると思われます。
江里炭鉱記事へ


実際には、この建物の横に、大きなホッパーがあったようですが、こちらは残念ながら改造されることもなく、取り壊されたようです。

おそらくこの辺りに、ホッパーがあったと思われます。今は、雑草の中にうっすらと石垣が見えるのみです。

それにしても閉山が終戦の年、と考えると、この施設の築年数はかなりのものと思いますが、見るからにしっかりとした造りを保っています。軍艦島などでもそうですが、炭鉱の本分は、強大な地圧に耐える為の坑道なので、RC(鉄筋コンクリート)構造においては、当時、欧米に劣らない高い技術力を発揮したという証しだと思います。

この右手にホッパー、さらに右手の方に鉱業所事務所などがあったそうです。

池野鉱は、なんと8坑まであったそうですが、丁度その第八坑で昭和11年(1936)に「奇跡の救出劇」があっています。
同年8月11日、40人が作業中であった第八坑で出水があり、21歳から43歳までの男女7人が坑内に取り残されました。必死の捜索活動も空しく、時間だけが過ぎてゆきましたが、事故発生から48時間以上経過後、水の中を首まで浸かりながら捜索していた救難捜索隊長丸尾氏が、同じく漆黒の坑内で首まで水に浸かって救出を待っていた7人を発見、全員無事に救出されたそうです。
・・・これこそが、鉱員さんたちの、鉄の結束ですね。
(画像は、池野本坑の坑口跡。現在はもうありません。せめて、プレートだけでも保存しておいて欲しかったですね)

多くの鉱員さん家族や商人、石炭を積み込んだ貨車で賑わったであろう、佐世保軽便鉄道・肥前池野駅も、現在では、公園となっています。

今では、静かになってしまった池野地区ですが、その街の雰囲気に、当時の面影がうっすらと残ってます。
今でも、この地区へは「柚木・池野」方面と書いた西肥バスが通っています。その文字を見ると、「懐かしい」と思う人も、少なくはないのではないかと思います・・・・・

*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月)


おそらくこの辺りに、ホッパーがあったと思われます。今は、雑草の中にうっすらと石垣が見えるのみです。

それにしても閉山が終戦の年、と考えると、この施設の築年数はかなりのものと思いますが、見るからにしっかりとした造りを保っています。軍艦島などでもそうですが、炭鉱の本分は、強大な地圧に耐える為の坑道なので、RC(鉄筋コンクリート)構造においては、当時、欧米に劣らない高い技術力を発揮したという証しだと思います。

この右手にホッパー、さらに右手の方に鉱業所事務所などがあったそうです。

池野鉱は、なんと8坑まであったそうですが、丁度その第八坑で昭和11年(1936)に「奇跡の救出劇」があっています。
同年8月11日、40人が作業中であった第八坑で出水があり、21歳から43歳までの男女7人が坑内に取り残されました。必死の捜索活動も空しく、時間だけが過ぎてゆきましたが、事故発生から48時間以上経過後、水の中を首まで浸かりながら捜索していた救難捜索隊長丸尾氏が、同じく漆黒の坑内で首まで水に浸かって救出を待っていた7人を発見、全員無事に救出されたそうです。
・・・これこそが、鉱員さんたちの、鉄の結束ですね。
(画像は、池野本坑の坑口跡。現在はもうありません。せめて、プレートだけでも保存しておいて欲しかったですね)

多くの鉱員さん家族や商人、石炭を積み込んだ貨車で賑わったであろう、佐世保軽便鉄道・肥前池野駅も、現在では、公園となっています。

今では、静かになってしまった池野地区ですが、その街の雰囲気に、当時の面影がうっすらと残ってます。
今でも、この地区へは「柚木・池野」方面と書いた西肥バスが通っています。その文字を見ると、「懐かしい」と思う人も、少なくはないのではないかと思います・・・・・

*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月)
















