
大島の中では、もっともその面影が残っている場所ですが、さすがに時代は移っているようです・・・
家の基本構造は変わっていないのですが、壁を直したり、増改築されている家が多くなっています。

壁をトタンなどで、覆うお宅も多かったようでした・・

向かって左側の家は、そのままの板壁のままでしたが、こういうお宅は本当に稀という感じでした・・・・

これが、現在の浜町です。だいぶ様変わりしている・・・とは言え、今まで歩いたどこよりも「炭鉱町」の雰囲気を残している地区だ・・と感じました。
これは、現在の浜町の画像にフィルターをかけてみたものです。こうやって見ると、なかなか昔ながらの感じがしませんか?
この炭鉱住宅街のすぐ近くの小高い丘の上には、明らかに石炭を輸送していたコンベアか軌道施設の残骸が残っています。
台座でしょうか。
住人の方が、通る道には、こんな風に石炭のかけらが黒々と散らばっているから、驚きです。

おそらくこの細い道の部分に軌道かコンベアが通っていたと思われます。
その道の延長線上にあたる場所です。軌道が通っていたトンネル入り口を塞いだものでしょう。
道の脇にのこる古い電柱です。そう言えば、幼い頃は、まだこういう木製の電柱も沢山あったような気が・・・・
向こう側に見えるアパート群は大島造船所の社員さん達が入っているアパートだそうです。
もう使われていない炭住もけっこうありました。
住まわれている方は、リフォームとかされているのですが・・・手前の方は無人のようでした。
住宅の横にあったコンクリート製の水桶です。端島のアパートにもちょうど同じようなものがありました。まだこの島に水道が完備していなかった頃のものでしょう。

ここは、炭住を改造して居酒屋さんになっています。ここで飲むとサケが進みそうです・・・
何気ない階段ひとつにも、当時の生活の様子が浮かびます。
炭鉱で栄えていた時代には、人口2万を数えた大島も、昭和45年の閉山後は、次々と人が去り、6千にまで激減しました。
やはり炭鉱町にも炭住にも、人の暮らしがあってこそ、様になります・・・
昭和23年の社宅風景
昭和23年に落成した、座席数1,200席を誇る娯楽の殿堂、「大島会館」です。こけら落としには市川猿乃助一座を招き、2日間にわたり全従業員の観劇会が催されました。
その大島会館も閉山後解体され、現在は運動公園となっています。
昭和37年頃の「大島鉱業所病院」内の様子です。
現在は市立病院となっており、コンクリート製の手摺りに、わずかに当時の面影をとどめています。
「大島体育館」です。外装は何度か新しくなっていますが、建物自体は当時のまま残されているものです。
丁度、ママさんバレーのチームが、にぎやかに練習をやっていました。
昭和39年に、労働力不足と将来の坑内近代化に対応するため、技術関係労務者育成の必要性から開設された「松島炭鉱鉱業学校」です。普通、「コウギョウコウコウ」と言うと、工業高校ですが、この時代の大島では、鉱業高校を指したわけですね。
その鉱業高校は、42年松島高等鉱業学校、閉山後の49年松島高等工業学校と改称しながらも、平成3年三月に閉校となっています・・・・

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