下図は、西海市大島にあった松島炭鉱大島鉱業所の当時の様子です。この炭鉱が、島をあげての産業であったことがうかがえます・・・
前身である大島炭鉱株式会社は大正6年の開坑、同9年に操業停止しています。その後、昭和10年に松島炭鉱株式会社により、大島坑が開坑されました。

昭和45年に閉山。以来、41年が経過しています。昭和50年に撮影された航空写真では、まだ鉱業所跡が、はっきりと確認できますが・・・

さすがに、現在では、確認できるものは、非常に少なくなってしまっています。どこでもそうですが、一番当時の姿のまま残っているものは、1に「石垣」です。2は「コンクリート」、3が「木材」の順になるでしょうか。

前身である大島炭鉱株式会社は大正6年の開坑、同9年に操業停止しています。その後、昭和10年に松島炭鉱株式会社により、大島坑が開坑されました。

昭和45年に閉山。以来、41年が経過しています。昭和50年に撮影された航空写真では、まだ鉱業所跡が、はっきりと確認できますが・・・

さすがに、現在では、確認できるものは、非常に少なくなってしまっています。どこでもそうですが、一番当時の姿のまま残っているものは、1に「石垣」です。2は「コンクリート」、3が「木材」の順になるでしょうか。

昭和20年代の第2坑です。
そしてこちらは第1坑の坑口です。
選炭場付近です。
しかし一帯は、雑草に覆われてしまい、まったく把握のしようがありませんでした。これは坑口跡のように見えますが、どういった使用のされ方だったのかは、わかりません。
コンクリートの土台です。港付近なので、積み出し施設の基礎か原炭ポケットの部分だと思われます。
頑強な造りですので、さすがに壊すのも大変なのでしょうね。雑草を刈れば、もっとはっきり鉱業所の全貌が見えてくると思うのですが・・・
大島坑の積み出し港であった馬込港の積み出し施設です。現在の海岸線は、当時のそれと、かなり変わってしまっています。
今、港に建っている真新しい肥前大島港ターミナルの売店の方が、「これは、炭鉱当時から残ってる」と教えてくれたのが、このコンベアの部分です。台のコンクリートは生コン会社(現在は廃業)が付け足したものだと思いますが、上の部分は、なるほどそのまま残っていますね。

おそらく写真に写っているコンベアだろうと、思いますが・・・・
どうぞ、この遺構が解体・撤去されませんようにと願いつつ、この後、炭鉱住宅街へと向かいました・・・・
「軍艦島・西彼炭田の炭鉱」 記事一覧
















主に福岡の炭鉱遺講などを探し回っているトライスターと申します。
最近唐津から伊万里辺りの遺講に興味を持ち検索していたらこちらにたどり着きました。
ご迷惑でなければ今後ともよろしくお願いいたします。