かつての伊王島炭坑病院です。
伊王島病院125

敷地の石垣だけが残されています。また、横の道は、上っていく角度が違うので、どうやら盛り土などで埋めてあるようです。
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ですから下の、配給米を担いで帰るお母さんたちと少年が通っていた道(右側が炭鉱病院)とその先のトンネル(切り通し?)は・・・・
伊王島切り通し099

こんな風に、上の方しか見られなくなっています・・・わかりますか?
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鉱業所の敷地から山側に上ると、民家の脇の畑に、コンクリート塊がのこっています・・・炭車などをワイヤーで巻き上げていた、巻座(まきざ)跡です。
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その巻座のかけらも、花壇の一部になっていました・・・
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映画や各興行が行われていた、伊王島炭坑会館です。
伊王島炭鉱会館122

ここは、すっかり取りつぶされ、唐船江(とうせんこう)という名のホテルが日鉄系の会社により建てられました。現在は、「スーパーしんわ」となっているようです。
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千崎はすっかり面影をなくしてしまいました。伊王島小中学校は、現在も同地にありますが、炭鉱住宅や炭鉱アパートのあった場所は、現在、天然温泉の湧くリゾート施設「やすらぎ伊王島」になっています。
伊王島千崎113

町をちょっと歩いてみました・・・人様の家を失礼なんですが、このお宅なんかは、まるっきり炭鉱時代のデザインそのものですね。
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そして、ここが炭鉱町であったことを示す物証である消火栓。炭鉱には消火隊が組織されていましたので、被害を迅速にくい止めるためにも、このようなごっつい消火栓があったわけです。
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海岸を通ると、そこは黒い浜・・となっています。半石炭?や石炭になりかけたボタなどで埋め尽くされています。
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波打ち際をよくご覧下さい。石炭は粉状に砕けるのが特徴なので、黒い粒が閉山後39年経っても尚、こうやって漂い続けているのですね・・・・
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「やすらぎ伊王島」が作った人工ビーチ「コスタ・デル・ソル」です。ご覧のように運び入れた白砂とボタとの境目が、くっきりとわかります。
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これは、使われなくなった教員用住宅です。
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これは伊王島にあった排気用の竪坑です。左下に見える施設が、坑内に空気を送り込む送風機のある施設でしょう・・・
伊王島排気竪坑120

灯台の近くに、それらしき場所、石垣だけが残っています。
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そしてここにも、コンクリートの壁と消火栓が・・・
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栄橋付近にある古いお店の跡。錆びてしまった看板には、「寝具」「インテリア」「月星靴」「浜市サービスの店」・・・とあります。生活に必要なものを、いろいろと売っていたのでしょう。
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上のお店などに流れていったのは、もちろん鉱員さん家族のお金が主。
これは昭和30年代の給料日の様子です。封筒を握ったお父さんと娘さん。笑顔の女の子。封筒(の額?)を比べあう奥さんたちの表情が実にいいですね・・・
伊王島給料日098

2018年1月、お寄せ頂いたコメントは、当時の伊王島をうかがい知る貴重な記憶であると思いますので、誠に勝手ですが、掲載させて頂きました。

『 先日、偶然次男から、おじいちゃんの仕事は?って聞かれ、日鉄鉱業の社船の光洋丸の船長さんだったよ!って答えていたら、そこからこのブログにたどり着き、この写真、お母さんじゃない?って見せられました。
確かに給料日で笑顔の母と同じく、嬉しそうな笑顔一杯の私がそこにいました。
その後船長だった父は、42才の若さで病に倒れ、私達家族は三才の妹から大学生の兄まで兄弟6人と母の壮絶な苦労が始まりました。
この写真をみて、私にもこんな無邪気で幸せ一杯の時期があったのかと、苦労ばっかりだった今は亡き母の若くて、幸せそうな笑顔に胸が一杯になりました。
この写真をどなたが撮られたかわかりませんが、ブログに掲載された方、又これを見つけてくれた次男にも感謝です!
ちなみに私はサランラップのCMの女の子の様に前髪パッツンの女の子です。
現在私は67才のおばあちゃんで、今日は、孫娘の10才のお誕生日会での出来事でした。
看板に書かれた日付から推察すると、奇しくも私の10才の頃の写真のようです。
今もお墓参りに時々訪れていますが、同じ故郷の思い出を共有できる方がいて、嬉しくなりました。
 』

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