間もなく本土との間に橋が完成する伊王島には、昭和16年開坑の、日鉄伊王島炭鉱がありました。同37年の最盛期には人口7.600人を数え、島内には銀行、映画館、商店街などが建ち発展しましたが、47年の閉山以後、リゾートの島となり、また静かな島に戻っていました。
(画像は伊王島鉱の斜坑口)
自転車レンタルのおばさんは、「何にも残ってないよ」と言ってましたが・・・
確かに閉山から、まだ37年・・と言っても
この栄橋あたりには、その面影はまったくありません・・・・
本当に何にも残っていないのでしょうか。
かつての炭鉱住宅街、仲町です
建物は当然変わっていますが、やはりここには公営住宅が並んでいます。
これは同じ場所の、かなり古い時代だと思います。
ここから正面に見える丘を登っていくと、そこが鉱業所跡地です。
何にもないようですが・・・
まるで城址のような巨大な石垣は、かつての日鉄鉱業所の事務所跡です。
そして少し離れた草むらの中に、坑口跡のコンクリートや残骸が残っています。
↓画像右上の建物が、事務所ですね。左側に小さく見えているのが、仲町の社宅群です。
閉山から10年たった昭和57年頃です。
鉱業所のすぐ横には、カトリック墓地があります。ここ伊王島(沖ノ島)はかつて島内の人口に対するカトリックの方の割合が、日本一高い島と言われた時代があったそうです。
石炭を船に積み込む場所、築港から鉱業所を見上げると、こういう風に見えます。所々に、コンベアの台跡などが確認できます・・・
当時の築港の様子です。ただし、手前に見えている船は、石炭を積む船ではなく、水運搬の団平船です。
築港を歩いてみると、やはり石炭やボタのかけらを見つけることができました・・・・
「軍艦島・西彼炭田の炭鉱」 記事一覧
建物は当然変わっていますが、やはりここには公営住宅が並んでいます。
これは同じ場所の、かなり古い時代だと思います。
ここから正面に見える丘を登っていくと、そこが鉱業所跡地です。
何にもないようですが・・・
まるで城址のような巨大な石垣は、かつての日鉄鉱業所の事務所跡です。
そして少し離れた草むらの中に、坑口跡のコンクリートや残骸が残っています。
↓画像右上の建物が、事務所ですね。左側に小さく見えているのが、仲町の社宅群です。
閉山から10年たった昭和57年頃です。
鉱業所のすぐ横には、カトリック墓地があります。ここ伊王島(沖ノ島)はかつて島内の人口に対するカトリックの方の割合が、日本一高い島と言われた時代があったそうです。
石炭を船に積み込む場所、築港から鉱業所を見上げると、こういう風に見えます。所々に、コンベアの台跡などが確認できます・・・
当時の築港の様子です。ただし、手前に見えている船は、石炭を積む船ではなく、水運搬の団平船です。
築港を歩いてみると、やはり石炭やボタのかけらを見つけることができました・・・・
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今から30年前に行った時は、まだ炭鉱アパートが廃墟として残っておりました
中に入るとスラブが抜け落ちた部屋などもありましたが、状態が良い部屋は生活感もあり時間が当時のままだったことを覚えております。
昨日、その時以来ぶりに行きましたが、リゾート化され
やはり当時の面影は全くなかったです