こういう炭鉱の紹介の仕方はどうでしょう・・・・

「報国炭鉱 (北松浦郡佐々町皆瀬免)」

古くは明治40年に開鉱。「報国」の名があるのは、太平洋戦争進展中の昭和14年に、新たに買収した大田長市が採掘を再開した為です。
「・・・(大田は)、社宅を新築し厚生施設も整えて鉱員を優遇した。小値賀(おじか)出身の大田は、大部分の鉱員を小値賀から呼んでいたので仲間意識が強く、大田もよく鉱員の面倒を見たので、事業主と従業員の対立などはなく、争議のない大きい炭鉱として北松炭田に知られていた。
 毎年春には鉱員達は鉱主の大田を囲んで、花見の宴を開くほほえましい光景もあった。・・・」
 

まるで「男はつらいよ」に出てくる、「タコ社長」が経営する朝日印刷のようですね!?
鉱員達に慕われた大田長市は昭和29年6月に死去し、その後昭和40年4月に閉山しています。

また小値賀島というのは、地理的には本当に不便な小さな島です。
昨年の高校野球では、昨年の夏の甲子園の県予選で、数ヶ月前に全国優勝を果たした「青峰高校」と16強で対戦し、1-3と接戦を演じた「北松西高校」は小値賀にある小人数の高校です。(ちなみに、青峰高校の改名前の校名は’北松南高校’)・・・そういう一見なんでもなさそうなことでも、「つながり」というものを考えると、不思議であり、面白いもんですね。

これは報国炭鉱の当時の様子。画面左上に見えるのは「神田(こうだ)小学校」。この地区には神田炭鉱などもあって、多くの人で賑わっていたわけです。
佐々報国炭鉱


今では西肥バスの停留所に「報国」の名前のみが残っているだけです。
上の画像の「神田小学校」も今では、門柱のみ残っているだけです。(大きな体育館の向かい)・・・きっと閉山が相次ぎ、人口が激減した為でしょう・・。
DSCF3814

大田長市が築いた炭鉱住宅のなごりがわずかに残っています。
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これは近所の人は「納屋」だと説明していましたが、造りから見ると、「公民館」或いは「集会所」として使用された建物ではないかと察します。

DSCF3822

大勢の人で賑わっていた時代、映画会などの催しに集まっていた子ども達の姿が、ぼんやりと浮かんでくるようです・・・・。
DSCF3823

ちなみに佐々町誌によると、
同町内には・・・・・
芳ノ浦炭鉱、神田炭鉱、里山炭鉱、佐々炭鉱、報国炭鉱、江里炭鉱、大岳炭鉱、韮山炭鉱、市ノ瀬炭鉱、高野炭鉱、吉丸炭鉱、本田炭鉱、牧崎(小浦)炭鉱等という炭鉱があったようです。






「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧

(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月