この世に生を受けて以来、この世には、ままならぬ問題が次々と現れます。
それは、時に「生きている、生きてゆく意味」をも、ぼやかせる程、深刻で重大である場合もあるかもしれません。
生きていることは、「うまくいかないことの連続」なのです。
偉そうに言ってますが、私自身の人生も、大小様々なつまづきの連続でした。
原因のはっきりした失敗は、次への糧となりますが、「出口の見えない閉塞感」は厄介です。
時に、明日を生きる気力すらも奪いかねません。
しかし、この記事で言いたいことは、「世の中のほとんどの事には、アルゴリズム(ここでは問題の解決方法、或いは最善策と定義します)があるのだが、日本のような単線レール?の学校社会では、そのアルゴリズムの見つけ方を教えられない」ということです。
馬という生き物にハマる
対州馬との出会い
イラストレーターの仕事をしている時に、地元新聞社の仕事で県内の各地を舞台にしたイラスト&エッセーの「ぼくの子ども絵日記 ~ ながさきの四季」という連載を持つ機会が3年間ほどありました。
その連載の取材の為に、県内を離島を含め隅々まで周ったのですが、大村市に行った時に、ある山中のカフェで一頭の対州馬に出会いました。
長崎市で対州馬が街中で荷運びをすることは知っていたのですが、それまで対州馬に対して熱狂的な興味があるというわけではありませんでした。
初めて間近で見る対州馬はけっこうな歳の牝馬でした。柵のところへ近寄っていくと、私の方を注目しているのですが、近寄ってはきません。
名前は知っていたので、その名前を何度か呼んでみました。すると最初はモジモジしていたのですが、ゆっくり私のところまで歩いてきました。
そして、顔を私の体に擦り付け、まるで犬か猫のように甘えてきたのです。着ていたジャンパーの裾を噛みますが、馬本来の強い噛みではなく、遊ぶように軽く噛んできます。
私は完全にこの馬に惚れ込んでしまいました。惹き込まれてしまいました。
それからは、私の中で「対州馬」という存在が大きく膨らんでいきました。

仰々しいタイトルにしては、内容が薄いものであることを、まず言っておきます。
「7つの習慣」も「アンガー・マネジメント」「職場の問題」もそれぞれ、語るには内容が深すぎますので。
ここでは、あくまで「ヒント」と捉えていただければと思います。
設定は、よく在りがちなことですが、『 ある若者が就職したのだけど、どうもその職場になじめない。従って人間関係も構築できないので、その状況が苦痛になり、定時が過ぎると、他の職員がまだ残っているのに、逃げるように帰っていってしまう。それをよく思わない他職員の雰囲気に気付いた上司が、ある時その若者を呼び出して注意を行った 』というものにします。
この状況、かなり厳しいですが、少しでも改善できないか考えるヒントとしてコヴィーの「7つの法則」とアンガー・マネジメントを使って少しほどいてみたいと思います。
まず、こういう状況だというのを図式化しました。それぞれの三角形は、それぞれの「考え方」や「価値観」等と考えてください。
「あなた(若者)」は、かなり厳しく上司から注意を受けています。言い方によっては、パワハラに値するものかもしれません。
なにせ相手の方が年齢も社会経験も断然上ですから。
そこで、大概のケースはこうなると思いますが、あなたは「すいません」と謝罪し、そのことによって、「自分はなんてダメな人間なんだ」とか「なぜ他の人のようにうまくやれないのだろう」と思い悩むようになります。
上司や職場との関係性は、下図のように「妥協」だけであり、その接する部分は限りなく小さな黄色い部分の三角形でしかありません。
よほど、状況が一変しないかぎり、あなたの「苦痛」「ストレス」は続いていくでしょう。この状態はあなたばかりでなく、職場にとってもマイナスの言わば「ルーズ、ルーズ」の関係です。
そのような状況が続けば、状況・関係性は更にお互いに悪化します。
最悪、下図のように、あなたがキレて、感情を爆発させてしまえば、その後どうなるか、想像するまでもないでしょう。
感情に任せて、その会社を辞めたとしても、次の職場で再度同じような状況になるのではないかという恐れに心を支配され、再就職すらできなくなってしまうかもしれません。
まず、一方的に言われると、怒りがこみ上げるのが人の常ですが、まずここでコヴィーの第5法則「理解してから理解される」を応用します。
なかなか大変なことですが、どんなに横暴な言い方をする人間にもそれなりの成育歴や背景があるもので、そこまでじっくり聞く覚悟で、相手の話を聞きます。
しかし、十分聞いた上で「納得して謝る必要」はありません。
相手に「言いたいこと(おっしゃりたいこと)は、よくわかりました」と言えば十分です。
そして、相手が十分自分のことを理解しようとされたと満足げな表情が見えたところで、今度は自分の考えなりを述べます。
ここでアンガーマネジメントの登場です。
アンガーマネジメントにも色々ありますが、ここでは
『 自分の意見を述べる時に、「あなたは・・・」という言い方ではなく、「私は・・・」という主語に置き換える 』を使います。
「あなたは」、「会社は」、という主語で始まるとどうしても相手を非難してしまう内容になってしまうからです。
そこであなたは、自分が入社してから感じたこと、「こうしたらいいのではないか」と考えていることなどを冷静に、しかしきちんと伝えることが大事です。
そこで、上司の方が、あなたに共感的な態度を示したならば、コヴィーの言う第6の法則「相乗効果(シナジー)を発揮する」という段階に昇れる可能性が出てきます。
詳しくは避けますが、第4法則「winーwinを考える」という関係性が成り立つような第3案(Third Idea)をお互いに出せれば、図のようにお互いのパワー(利益)は、大きな三角形として成長します。
こういうトライは、いついかなる状況においても、試してみる価値があります。
例えば、家族間や夫婦間のトラブルなどにおいても。
しかし、問題の多くはそんなに単純でないことも残念ながら事実です。
その時は第1法則(主体性を発揮する)を尊重し、第3法則(重要事項を優先する)に照らした結果、第4法則の中で述べられているように、
「No-deal(ノー・ディール/関わらない)」を選ぶということも、引き出しの中に持っておくべきと思います。
今からもう50年以上も前の話。
私が住んでいたアパートは、戦後6,7年後に建てられたものだった。
全8棟には「うぐいす」「はと」「かもめ」といった鳥の名前がついていたが、間取りが少しずつ違っていて、いずれも風呂場は付いておらず、最も狭いものは、ベランダも無い一間だけというものだった。
私のいた「はやぶさ」には、かろうじて「洗濯場」があったので、風呂桶を置くことができた。
隣の「つばめ」には、それもなく、風呂桶はベランダに置いてベニヤで囲むしかないのだが、冬場は当然寒い思いをすることになる。
その「つばめ」に生まれつき心臓が悪くて、とても体が弱い女の子が住んでいた。
冬場は寒いので、銭湯に行くのだが、心臓の弱いその子には、お湯が熱すぎて入れないので、母親は水でぬるくして女の子を入れていた。
そうすると、周りにいたおばさん達から、露骨に嫌な顔をされたらしい。
困った母親は同じ「つばめ」にいた知人のつてを頼って、洗濯場に風呂のある、うちの風呂に何度か入れてもらいに来たそうだ。
うちの母親は貧乏だが、気はいいので、気持ちよく風呂を女の子に都合のよい温度で提供したらしい。
その時の女の子の様子は、唇が真っ青で、チアノーゼが浮かんだような感じで、あまりしゃべりもしなかったという。
結局、その女の子は、小学校にあがることができずに亡くなってしまった。
父親は、看板描きの職人さんで、精霊船の帆には、その子が好きであったであろう、「みなしごハッチ」の絵が精魂込めて描かれていて、見た者の胸を打ったそうだ。
その後、両親とも割と早く亡くなられ、後にお姉さんひとりが残された。
これは、年老いた母親と古い友達との会話からつい先日、初めて知った話。
なぜ、こういう話をもっと早くにしないか、と思う。
うちも貧しくて、電話さえもなく、学校の連絡票には
「〇〇米穀店(次)」と書いていた。
急な連絡は、近所の米屋にかけて、ということ。
そんな風に書くのは、その時代でも少数派だった。
みんなが貧しかった。困っている人も多かった。
でも、個々の家は今のような「閉ざされた空間」ではなかった。
そんな貧しいうちなんかを頼ってやって来られ、その粗末な風呂場が役に立ち、その母子が助かったのであれば、こんなうれしいことは無い。
今の時代だからこそ、この話は、少しは意味があるのではと思い、紹介してみました。
下の写真の右端に映るのが「つばめ」棟。
その母親も、このように元気に幼稚園に通う姿、そして成長してゆく姿をずっと見ていたかっただろう・・・。(右から3人目が私。写真は退色復元してあります)

学校と教師とHSP
対州馬につなげる為に、もう少し私自身のことを話したいと思います。
先日、娘が通う高校で三者面談がありました。いつもは私の妻が参加するのですが、今年はコロナ・ウィルスの影響で妻が職場を抜けられなかった為です。
実は私の娘も自身で「私はHSP!」と公言しているのですが、普段から担任教師の事を毛嫌いしていることはよく判っていました。
「これは下手すると担任と激論になる。それだけは何としても避けたい!」と思っていた私は、前日たまたま観た「大草原の小さな家」の再放送の中で父親チャールズが示したような寛容な態度を心がけて(笑)面談に臨みました。
◇
そのおかげか、最後まで穏やかに面談を終えたのですが、その担任の言動・価値観以前の人柄は「教師の前に、人として最低」なものでした。
私自身が教師として何度も三者面談を経験していますから、一般の方よりは客観的にその面談を測ることができると思うのですが、簡単に言うと、その面談は時間内ずっと娘に対してネガティブな内容を話し続けるような内容でした。
そしてその担任が放ったある言葉が印象的でした。「娘さんは、私との連絡帳に一言ぐらいしか書かないんですよね。それから、クラスの前で私が話すときに他の子よりリアクションが無いんですよ。社会に出たら、もう少しその辺をどうにかしないとね」と。これはまるで「芸人の私がネタをやっているのに、ちっとも笑わないじゃないか。なぜもっとリアクションしないんだ!」というような話に聞こえました。
つまらない、面白くないからリアクションしないのに決まっているのに、自分のネタに問題があるのではなく、笑わない観客にあるのだというようなものです。
私は内心「なぜこの教師は、自分が受け入れられてないし、娘との間に信頼関係が構築されていないから日誌の言葉が少ないのだし、リアクションもしないのだ」と思わないのか、不思議というか滑稽でした。私自身は教師として授業をしていた時に、常に授業を受けている生徒たちの表情を見ていました。真剣に聞いている時は表情が違っていましたし、つまらない時には眠そうな顔。それが自分にとっての授業の内容・質のバロメーターでした。日誌についても同じで、大きな学校の時は15クラス45人全員、つまり600人くらいと日誌を交わしていました。当然、何も書かない生徒も沢山いますが、私は授業を合間を見つけて、かならず全員に一言書いて返していました。そんな生徒がある時、「今日は楽しかった」と一言書いているのを見つけると、教師として大いに励まされ、やり甲斐を感じました。
面談の最後に少し時間があったので、そのようなことを担任の先生にやわらかくかいつまんで話しました。担任は「はい。」と言ってただうつむいていましたが、おそらく内容などちっとも入っておらず、ただクレームっぽい親が何か言ったぐらいにしか伝わっていなかったでしょう。
こういったこともアーロン博士らのHSPを用いれば、見事なほど完璧に説明がつきます。
また、私が両親や兄について同じような違和感をもっていることも25%ということから妙に合点がいきます。
「買い被り」は昔のことだけではありません。
数々のアルバイトでは、「応募する前と実際では大違い」といったことは、おそらく誰もが一度は経験したことがあるでしょう。
しかし、ある語学学校の校長職も十分この「買い被り」によって落胆させられた事例に該当するものでした。
私は開校申請前の校長職としてある会社から招かれました。
教育学部卒で実存主義やフリー・スクール構想について仲間と学んだ経験のある私は、外国の青年たちにとって「真の教育」を与えられる学校を創ることができると信じて、各資料を練り上げ、文部科学省までヒアリングに行きました。
運営会社の社長の肩書はそれこそ、立派なものが幾つも並べられていました。
その社長が参加する姿を一度も見たことも聞いたこともない、不登校の生徒たちが通うフリースクールの理事とか、県内の青年協議会の会員とか。
そこでも、またもや「買い被って」しまったのです。
開校後、目の当たりにした現実は、「酷い」を遥かに超えた「悲惨」なものでした。
これは、あくまで私のいた日本語学校の話ですが、ネパールやインドなどのアジア諸国において、学校と契約した現地ブローカーが『経済力のある日本に行けば、留学生ビザでアルバイトができる。その稼いだ金で生活費はもちろん次の学費(100万円とか)も工面できる。更には、母国の家族に仕送りもできる』などと言って巧みな嘘で騙し、一生かかっても返せないような借金を負わせた上で日本へ留学させます。
家族や一族は日本円に換算すると1000万から1500万というお金を借金するために土地や建物を担保にします。おそらく利息も日本では考えられないような額になるはずです。
そんなことをして日本にやってきたアジアの若者たちがどんな悲惨な運命をたどるか、詳しくは本題からあまりにそれてしまうので、ここではやめておきます。
私が「校長として未来のあるアジアの若者の人生に寄り添える」と思った買い被りは、実際は生活費にも苦労をし、借金の為に帰国することもできないという地獄にすり替わってしまっていたのでした。校長の権限を持ってしても、その状況を覆すことはできませんでした。
「月に1万5千円の家賃が払えない」と担当教員に相談した外国人生徒に、担当教員が「お金を〇日までに払わないなら、部屋を出て、近くの公園で寝てください」と答えたのが、私は人として許せませんでした。それは運営会社の指示で言わせられたことでした。生徒は泣きながら私に訴えてきました。
「そういう言葉を言うのは、悪いことですよね?」と。私はうなづくしかありませんでした。
親戚や親兄弟に対してもほぼ同じような感情があります。
親というものは、どんな人にとっても無二の存在ですが、それが故にその存在は幼い頃にとっては絶対的な影響を与えますね。
私の場合、家庭に特に虐待や極度の貧困という問題はなかったものの、基本的に次男である私は「特に興味を持たれない」という存在でした。それは基本今も変わっていません。
今、HSPという言葉がメジャーになりましたね。これは「ハイリー・センシティブ・パーソン、とても繊細に感じる人」という意味でアメリカのエレイン・アーロン博士が提唱したものです。説明によると人類の約20%にあたり、タイトルにある馬という動物ももHSPにあたるとされています。率直に言うと、私はHSPのど真ん中に(?)いると思っています。
しかし、このアーロン博士による提唱はとても有難いことです。この提唱のおかげで、実に何十年も解けなかった人生の疑問が解けてきました。
話を戻し、もう少し「買い被り」について述べてみます。
私は幼い頃、「大人やその大人たちが築く社会は、とてもよくできたものに違いない」と勝手に思い込んでいました。
幼稚園の時、クラスの前方にある教卓の陰で1人ずつ下半身を露出させ、肛門に蟯虫検査の
テープを押し当てるシスターの行いも、
小学生の時、工事を見物していると、遠くの商店まで「タバコを買ってきてくれ」と言ってお金を渡し、走って買いに行ってきたのに、駄賃も何もくれなかった工事のおじさんの行いも、
同じく小学生の時に大人気だった「仮面ライダー」スナックを買ったのに、必ずもらえるはずのライダー・カードを「カードは無かよ」と言い放った店のおばさんの行いも、
同じく小学校で好きな方だった男の担任がある時、浅野くんというクラスメートがちょっと何かしらの問題を起こした時に「忠臣蔵では、浅野内匠頭が悪い奴だったから、同じ名前のお前も悪い奴だ!」と叱ったその行いも、
そんなことは枚挙にいとまがないのですが、「よく出来ているはずの社会の大人がすることだから」と自分の中に違和感を感じながらも自分の中に押し込めていました。

生い立ちとHSP
タイトルの内容について語るには、少々大げさな言い方かもしれませんが、私自身の生い立ちを述べなければなりません。と言っても、馬に関するドラマティックなエピソードがあるというわけではないのですが。
まず第一に私は生来、「大概、買い被ってしまう」というところがあります。
それは人に対してはもちろん、社会やその仕組みに対してもそうだと言えます。
「買い被る」=「期待値が高すぎる」と言い換えてもいいかもしれません。例えば、今の時代だと昔の友達や仲間とSNS上で再開し会話をする、或いは直接会うということも可能になりました。今現在も高校や大学時代の友人とSNSで繋がってはいますが、正直言うと改めて目の当たりにする友人の人柄・意識の稚拙さにがっかりすることが、かなり多いです。
失礼ながら、「彼(彼女)は、大学時代からまったく成長してないんだな」と思ってしまいます。もちろんそんなことを直接言うと相手は激怒するでしょうから、そういう場合はこちらから連絡もせず、リアクションもしないので、そのうち関係はほぼ枯れていきます。それでも尚、形だけの「友だち」は残り続け、こちらが求めてもいないのに、その日食べた食事の画像を見せられたり、宴会で酔っぱらった醜態などを見てしまった時には、SNSで再会してしまったことを激しく後悔することになります。SNSはその人の頭の中、意識しているもの、感じているものを如実に映し出してくれますので。
害はありません。山の中の放牧地でも新しい放牧地でも、山中に餌が不足しているのか、ひん太のすぐ傍までイノシシはやってきました。
最初の放牧地では、その強大な力とイメージに恐れをなし、ひどく心配になり、対馬の保存会などに対策情報を求めました。その時、「ラジオをかけっぱなしにすると効果がある」と聞いたので、夜中など放牧地を離れる時には防水ラジオを馬が触らない場所に置いておきました。近くの畑所有者は鉄製の檻を仕掛け、猟友会も動き回っていると言っていました。しかし、結局何もおきませんでした。
新しい放牧地はかなり民家の傍なのですが、ここにもイノシシはやってきました。親一頭の時は、私の姿を見ると逃げるのですが、ある時子どものウリ坊を連れた母イノシシが姿を見せるようになりました。母イノシシは、やはり子どもを守ろうとするのか、逃げません。しかし、イノシシは馬に何もしないし、馬とイノシシでは共通する食料もないので、放っておきました。ある時、ひん太を曳いて外にいる時にこの親子に出くわしました。ウリ坊はさっさと藪の中に逃げたのですが、母イノシシはこちらをずっと見たまま動きません。さすがに自分より大きな馬が近づいてきたら逃げるかと思い、ひん太を曳いて少し母イノシシの方に歩いたのですが、母イノシシはまったく動じることなく動きませんでした。直観的に「これ以上進めると、ウリ坊を守るために突っ込んでくるな!」と予感し、引き返すことにしました。結局、このニアミスもまったく問題ありまんでした。イノシシだって馬と同じ生物ですから、何もしないのにやたら攻撃してくることはないと私は確信しています。我が子を守ろうとするのは、それこそイノシシも馬も、そして人間も同じでしょう。ただ私はミミズなどを掘っている時に間違って柵内に入ってしまうと、馬が興奮して怪我する可能性も完全に否定できないので、柵に動物除けのスチールネットを巡らせていました。これは、馬が頭を柵に挟む事故を防ぐ意味の方が大きかったのですが。
私は正直言って、SNS上でイノシシなどを仕留めて、その亡骸を得意げにさらすような人間がすきではありません。むしろ馬にとっての一番の害であり、脅威は何をしでかすかわからない人間の方なのです。

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対州屋 作成者のサイトです *写真のデジタル化なら先義後利の対州屋で! http://flying-hayabusa.coolblog.jp/profile1.html 江島 達也FB
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新しい放牧地はかなり民家の傍なのですが、ここにもイノシシはやってきました。親一頭の時は、私の姿を見ると逃げるのですが、ある時子どものウリ坊を連れた母イノシシが姿を見せるようになりました。母イノシシは、やはり子どもを守ろうとするのか、逃げません。しかし、イノシシは馬に何もしないし、馬とイノシシでは共通する食料もないので、放っておきました。ある時、ひん太を曳いて外にいる時にこの親子に出くわしました。ウリ坊はさっさと藪の中に逃げたのですが、母イノシシはこちらをずっと見たまま動きません。さすがに自分より大きな馬が近づいてきたら逃げるかと思い、ひん太を曳いて少し母イノシシの方に歩いたのですが、母イノシシはまったく動じることなく動きませんでした。直観的に「これ以上進めると、ウリ坊を守るために突っ込んでくるな!」と予感し、引き返すことにしました。結局、このニアミスもまったく問題ありまんでした。イノシシだって馬と同じ生物ですから、何もしないのにやたら攻撃してくることはないと私は確信しています。我が子を守ろうとするのは、それこそイノシシも馬も、そして人間も同じでしょう。ただ私はミミズなどを掘っている時に間違って柵内に入ってしまうと、馬が興奮して怪我する可能性も完全に否定できないので、柵に動物除けのスチールネットを巡らせていました。これは、馬が頭を柵に挟む事故を防ぐ意味の方が大きかったのですが。
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江島 達也 長崎県長崎市在住
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原題:Everybody's Fine 2009 アメリカ 主演:ロバート・デ・ニーロ
多くの人が評価サイトで書いていますが、日本では何故か劇場公開されていません。 また邦題「みんな元気」というのが、あまりにも期待できないものであるためか、この映画を観たことがある人は非常に少ないのではないかと思います。 内容については、触れませんがざっくり言うと、連れ合いを亡くした中年(ロバート・デ・ニーロ)が、独立した4人の子どもをサプライズで訪ねるというロード・ムービーです。 とてもシンプルな設定ですが、映像のテンポや音楽などが非常に小気味よく、すんなり入れる映画です。 そして特に言いたいことは、子育ての一段落した世代の男性に観て欲しいということです。 「仕事と子育て」「夫婦の分担」「親子の関係と信頼」など、様々なテーマを持って鑑賞することのできる秀作です。
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プロフィール:江島 達也
長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。29年 あさひ日本語学校・校長職を兼任。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236
以下は、すべてアトリエ隼(対州屋)のサービスです。
長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
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