ここもマニアの方には、有名な場所となってしまった感があるので、敢えて詳しい説明は避けます。その名の通り、組み立てた魚雷が真っ直ぐに推進するかなどを試験した場所でした。
大村湾・片島は付近を昔から、いやと言うほど通ってきましたが、ここに来たことは一度もありませんでした。教師時代においても、遺構があることは知っていましたが、敢えて来ようという考えがなかったことは事実です・・・。
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しかし、今となっては、こういう遺構を未来を担う子ども達の為の教育に生かさない手はない・・・と強く考えます。
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ところが、建物の中に自由に入れるのは、いいのですが、周りには簡単な説明板があるだけで、荒れ放題となっており、とても保存しているとは言い難い状態です。有り体に言えば、ただ残されている・・・という感じがします。
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私が炭鉱の跡を紹介したいと考えるのは、そこに未来に役立つものがあると信じるからですが、こういった旧軍事施設も、それこそリアルな平和学習の資料だと思うのです。

そのことに関して九州大学名誉教授の「青空博物館」という構想をご紹介します。

「青空博物研修圏」を創ろう
                 九州大学名誉教授 森 祐行

長崎県には石炭を掘り出した島々がある。島には、我が国の歴史において重要な役割を果した石炭産業の遺跡がある。先人の残したものを活かすのか。殺すのか。今、私たちの英知が問われている。豊かな自然と産業遺跡を未来に活かすことは私達の責務である。
 青い海と青い空の中に白い軍艦島(端島)が浮かんでいる。ローマの遺跡や吉野ヶ里遺跡のように、炭鉱の遺跡も青空の下、その地にあってこそ、その価値が現れる。人々は、その地に立ってこそ、その遺跡を実感できる。
 人は具体的な物を見て、触って、話しを聞いて、その物の価値や背景を実感できる。博物館といえば立派な建物の中に高価な品物が陳列されている場景が浮かんでくるが、その必要はない。品物を前にして、その品物について語りかける人がいて、その話しを聞く人がいる。そこが博物館である。誰にでも思い出の品はある。その品はその人にとっての宝である。金銭には代えられない宝である。昔、語り部という人々がいた。思い出の品を前にすれば、誰もが語り部になれる。
 ある物を前にして人と人が語り合えば、互いに何かを感じ合うことができる。職業としての研修には達成目標と基準が必要であるが、人生のための研修には客観的な目標や基準は不要になる。博物館の機能に、職業上の技術や知識の向上に直接、役立つ研修があるのは当然であるが、私は敢えて、職業と直接には結びつかない研修の場としての博物館を提案する。
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巨額なお金をかけて箱物をつくるより、こういうものを整備する費用にあてて、アクセスを整備すると有意義なツアーがいくらでもできそうな気がしますね・・・。

 
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