アトリエ隼 仕事日記

長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・

中ノ浦教会

水面に映える白亜の教会~中ノ浦教会(新上五島町)


新上五島町中ノ浦にある中ノ浦教会。
上五島空港が事実上閉鎖されている現在、旅人が奈良尾港から上陸し、北上する時にまず最初に目にするのが、この中ノ浦教会だろうと思います。
小さな入江のそばにたつ同教会は、その白壁が水面に映り、何とも美しいその姿で旅人の心を癒してくれます・・(写真を撮った時は潮位が下がっていました)。
DSCF4270

穏やかな内海、緩やかな山稜・・・・「幸福」に充ち満ちた風景が続きますが、この教会がある地区は、明治初年におけるキリシタン弾圧「五島くずれ」の中でも激しい弾圧が行われた場所でした。
その弾圧に耐えた信徒たちの血と信仰の強さを象徴するかのような五島つばきの赤い色が印象的です・・・
DSCF4268

諸外国から猛抗議を受けるという形で実現した、明治6年の「キリシタン禁教の高札撤廃」ですが、一説によるとそれは外国人居留地の近くだけで、地方では状況は一向に変わらなかった・・・と言われています。
おそらく離島のこのような地区では、旧態依然としたものであったに違いないでしょう・・・。
DSCF4269


長い弾圧が終わり、争いや戦が終わって、やっと平和が戻ってきたこの地ですが、少子化か過疎化か、一人また一人と人が去くことになりました。
そしてこの近くにあった上荒川小学校も閉校となってしまいました。時の流れの儚さを感じますね。

上五島へ~廃校となった若松町立上荒川小学校

教会も旧校舎もずっとこの地にあって欲しいと願うばかりです・・・。

人気ブログランキングへ

上五島へ~中ノ浦教会

長崎新聞の連載時代に、一個所だけ現地を訪れていない場所。それが上五島でした。端島や高島、池島といった炭鉱の島に魅せられ、その炭鉱とも縁の深かったカトリック教会(炭鉱マンには信者が多かったそうなので)。先日歩いた北松では、炭鉱町は無くなっていても、点在するカトリック教会の場所で、かつての炭鉱集落の位置がわかりました。
ともかく、ここ上五島にゆくことになるのは、必然的なことに思えましたし、実際の上五島は予想をはるかにこえた、いい場所でした。

上陸した奈良尾港というのは、これまでに訪れたことのある、島の玄関港とは、まったく異なる景色があります。港の周りに山がせまり、不思議な感じがします。軍艦島ほどのインパクトはないにせよ、これから島へ入っていく者に対し、妙な胸の高鳴りを覚えさせます。

島のほぼ南端にある奈良尾港から車で走り出すと、まず最初に顔を見せてくれるのは、この中ノ浦教会です。以前、写真で見て、どうしても見たかった教会のひとつですが、小さな入江に面した姿は、想像以上に美しいものでした。その日は、引き潮の為か、手前の水位が少し低かったのは残念でしたが。
DSCF4270

当たり前のことかもしれませんが、教会というのは中に自由に入れる点がすばらしい・・と思います。扉を開ける毎に、それぞれ異なった光と色、そして空気間の世界が広がってきます。中にたたずむ数分間でさえ、自分の精神と肉体が浄化されるような不思議な感覚を味わうことができます。
DSCF4268

敷地内にあるマリア像とルルドです。このマリア像も少しずつ表情が違っており、各教会の像を見比べながら歩くのも、また楽しいものです。
DSCF4269

もともとこの地区の信者たちは寛政年間に外海の黒崎から移住してきたキリシタンの方達です。近くにある桐古里が伝道師ガスパル下村与作の出身地ということで、五島崩れ(キリシタン弾圧)では信者たちへの迫害がはげしい地区のひとつだったそうです。
DSCF4267

この地、五島へカトリックが根付いていった背景というのは・・・・1797年(寛政九年)に五島藩主である五島盛運が大村藩主に農地開墾の為の移民を依頼したことに始まります。これに対し農地の不足していた大村藩領・外海地方のキリシタンたちがすすんで五島へと渡ったことがあります。
進んで五島へ渡ったもうひとつの理由は、当時の大村藩では、人口増加をおさえるために、長男以外の子どもを間引き(殺すこと)するように強制していたということがあったようです。五島では、そのような嬰児殺しもせずにすみ、キリシタンへの取り締まりもそれほどひどくなかったということから多くのキリシタンたちが移住を希望したそうです。
五島がキリシタンたちにとって住みやすいことの理由のもうひとつは、ポルトガル人のルイス・デ・アルメイダが五島の領主の病気を治すとともに布教活動をしていたからです。単に宗教を広めるだけでなく、孤児やハンセン氏病患者を保護・養育し、病院や保育園・授産施設などの礎を築いていったことが、当時の人々にとって大きな救いであったということは、間違いのないことでしょう・・・。
アルメイダは、現在の長崎市そのものを都市として切り開いていった人物なのですが、どういうわけか。あまり知られていません。
しかし、かれらが行った「ミゼルコルディア(7つの慈悲)」に代表される慈悲・慈愛に満ちた慈善事業は、今でも各地に受け継がれていると信じたいです。
ルイス・デ・アルメイダ

どこかの教会かは忘れましたが、ある教会内においてあった、祈りの文には、次のような文言が見えます・・・

『・・・産声を上げられなかった小さな子どもたち、
いのちの危機に瀕している貧しい人々、
残忍な暴力の犠牲となっている女性や子どもたち、
無関心とゆがんだ愛情ゆえに命をたたれる高齢者や病人たち、
このような人々に母としてのまなざしを注いでください。・・・・』

これからのクリスマス・シーズンに絶対おすすめなのが、↓これです。
もし、同町に住んでいるのならば、毎晩でも行きたいところです。きっとすばらしいでしょう・・・。
kamigotou236


記事検索


プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


以下は、すべてアトリエ隼(対州屋)のサービスです。











荷運び馬復活を目指す長崎市唯一の対州馬、ひん太FBページ

坂ん街の暮らし、応援します。
馬運・馬搬・作業萬ず/
「対州屋」(たいしゅうや)



☆ FaceBook ☆