いつも横を素通り?してきた、この上長崎小学校なのですが、資料によると、この校舎(一部)が長崎市内に現存する最古の建築であるということです。
もともと、この校舎大正12年に「長崎市立高等女学校」として建設されたRC(鉄筋コンクリート製)3階建ての建物だそうです。
その後、昭和16年に「上長崎国民学校」となり、同31年より校舎を大幅に改築しているようです。
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実際は↓画像の右側の窓の大きな造りの部分が、女学校として建築された大正12年製のようです。それにしても、大正12年(1923)ということは、同潤会アパートよりも数年古く、端島のAP群と比べても、大正5年の30号棟、同7年の日給住宅、同8年の8号棟、同10年の泉福寺に次ぐ古さです。
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屋上部を拡大すると、4枚の菱形を組み合わせたタイルの装飾が施されていることがわかります。アール・ヌーヴォーとまでは言いませんが、非常に意匠を凝らした建築であることが伺えます。
意匠

手前の「庇」みたいに見えるのは、よく見ると「バルコニー」であることがわかります。こういった「粋」を感じさせる造りが何とも言えません。今の建築と違って、子ども・学生達の生き生きとした姿が浮かんでくるようです。
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校舎前の石垣もベンチを埋め込むような設計になっています。女学生達が通った頃には、このベンチにも多くの若き学生達が談笑していたのでしょうか・・・。
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現在の正門とは全く違う場所に、昔の正門らしきものが残っています。
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字体からして昭和初期の頃に使われたものでしょうか。
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今、何かと話題の「耐震化」の補強が進んでいました。・・・・景観としては余りにも殺風景な感じがしますが、しょうがないのでしょうか。
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ここは、もう正面玄関としては使われていない、かつての正面玄関です。
丁度、卒業生らしき中学生が母親と共にやって来て、先生らしき人と談笑していました。
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やはり「学校」というものは、いつの時代になっても、誰かの「ふるさと」であり「心の拠り所」なんですよね。従って、いつまでも存続していることは、卒業していった多くの人々にとって「アイディンティティーの確立・形成」の上で非常に大事なことだと思うのです。できるだけ昔のままの姿で残っていって欲しいものですね。