「廃墟マニア」、とりわけ「炭鉱廃墟マニア」にとっては、かなり有名な場所・・・ということで、記事としてUPすることをややためらってしまいますが、池島、端島の次ぐらいにくる県内の炭鉱遺構として、触れないわけにもいかないだろうと思います。
炭鉱にまったく興味が無い人でも、小佐々町楠泊漁港付近を通れば、いやでも、この巨大なホッパーが目に入ってくるはずです。
小佐々楠泊港ホッパー

見ると、2つのホッパーが南北に並んでいます。規模は同じくらいですが、デザインが異なっていることがわかります。手前の乗用車と比べると、大きさがよくわかると思います。
小佐々楠泊港ホッパー2

近くから見ると、よりその大きさが感じられます。ホッパーとは石炭を船に積み込む前にストックしておく場所で、写真でわかるように下部が狭くなっており、必要量だけを開け閉めして石炭を排出させていました。
小佐々楠泊港ホッパー4

ところで、「矢岳炭鉱のホッパー」という名のわりに、このホッパーが存在するのは、下図の青い矢印の場所で、「矢岳免」ではなく、「楠泊免」であるのが謎?と言えば謎です。もし矢岳免に炭鉱があったのであれば、わざわざ楠泊港まで移動させず、矢岳港から積み出した方が経費がかからないはずです。(地図は1999年のもの)
小佐々町329
その答えは、矢岳炭鉱の歴史にあります。
もともと「矢岳炭鉱」は、明治33年、楠泊の久保田芳太郎(同年死亡)によって開坑されました。その第一坑は、図のピンクの矢印の場所、大山地区、そして楠泊港に近い祝ガ浦地区でした。この時代の採炭方法というのは、まだ夫がツルハシで掘って妻がスラ(篭)で出す・・というようなものであったようです。
その後、明治の末期になって、矢岳の浦田平六という人物の経営に移りました。この時代に炭鉱の近代化が進みましたので、おそらくこの時代に「矢岳炭鉱」の名が定着したものと思います。

小佐々楠泊港ホッパー3

その後、経営者が何人か替わり、昭和12年には日産化学工業株式会社に買収され、名称も相浦炭鉱株式会社矢岳炭鉱となりました。さらに同20年には日鉄鉱業に買収され、増産を目指しましたが、炭界不況から逃れることが出来ず、かつて町内最大の繁栄を誇った矢岳鉱も同37年に閉山となりました。
小佐々楠泊港ホッパー6

ところどころ鉄筋はむき出しとなっていますが、さすがは炭鉱会社の建造物らしく、頑強なつくりであることがうかがえます。
漁業最盛期の頃は、このホッパーを漁具置き場として利用していたようですが、漁業も不振となった現在では、それらも取り除かれているようでした。
小佐々楠泊港ホッパー5
なんにせよ、この巨大ホッパー、末永くこの地に残り、将来においては、町興しの一役を担ってくれることを願うばかりです・・・。


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