アトリエ隼 仕事日記

長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・

長崎鉄道・交通

おくんちの日だけ歩けた、長崎港駅への貨物線鉄橋

長崎市・諏訪神社の祭礼、「おくんち」で賑わう大波止付近。中島川に架かる大波止橋の近くに廃線の鉄橋跡と蒸気機関車の動輪がモニュメントとして残されています。
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この鉄橋跡は、昭和5年に「長崎港駅(現・出島ワーフ付近)」に接続していた国鉄長崎本線が通っていた跡です。同62年に正式に廃止となるまでは、おくんちの日に限り、この鉄橋が通行用として開放されており、幼い頃少々恐い思いをしながら渡っていた記憶が今でも鮮明に残っています。
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断層を乗り越えた竹筋コンクリートの福井川橋梁

佐世保市吉井町から国道204号線を車で江迎町方面へ走ると、けっこうな登りとなり、この町境付近に大きな断層があることを実感します。
佐世保鉄道から国鉄松浦線にかわる昭和11年までは、この高低差のある断層帯に鉄道を通すことは技術的に困難とされていたようですが、戦局の進展に伴い北松炭田からの製鉄原料炭輸送と佐世保軍港への軍隊輸送と軍需品輸送のために、この区間の鉄道敷設工事が行われています。

写真の福井川橋梁は、その断層間にある福井川に架かる鉄道橋ですが、当時は鉄筋が不足していたので、なんと「竹」を骨組みにしてコンクリート造の橋を完成させています。(昭和14年完成。肥前吉井~潜竜間は昭和19年4月開通)
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後に学者が調査したところ、コンクリートの強度も高く、劣化もさほど無かったそうです。またこの橋の設計に関しては平面軸線に曲率もつけてあるなど、非常に高い水準のもので、当時の設計技師たちのレベルの高さを実感したそうです。
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長年にわたり、炭鉱に携わる人々や石炭、物資を運び続けてきた鉄道でしたが、昭和37年7月には豪雨から江迎炭鉱のボタ山が崩れ、潜竜駅一帯を押し潰すという災害が発生しています。幸い付近の住人は非難しており、一人の死者も出さなかったものの、被害は甚大で700人もの鉱員さんが解雇され、結果的に多くの人が町を離れることとなりました。
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そういったことを少し振り返りながら、この松浦線を列車で旅するというのも、なかなか味わい深いものがあるのではないでしょうか・・・

(佐々川橋梁、吉田川橋梁も同じく、竹筋コンクリート製の橋梁です)


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*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は衰退しつつある、故郷・長崎の良いもの未来に向けて、広く伝えるです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月

18両のSLを擁した、旧国鉄松浦線 佐々機関区

かつての石炭の積み出し港であった臼ノ浦港(旧北松浦郡小佐々町)へと向かう臼ノ浦線と松浦線の分岐跡(北松浦郡佐々町)。
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今からたった40年前には、この場所に、黒い煙を吐きながらばく進している蒸気機関車の姿がありました・・・・
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右手後方に見えるのが、18両もの蒸気機関車を保有していた旧国鉄松浦線佐々機関区の車両基地です。
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松浦鉄道の「日本一」を体感しよう!

松浦鉄道(MR)の日本一、それは『 駅間距離最短日本一 』なのです!・・・同鉄道の「佐世保中央駅」と「中佐世保駅」(ともに佐世保市島瀬町)はわずか200mしか離れておらず、これは日本の鉄道において文句なしの最短です。
地元では結構有名かもしれませんが、実際この「短さ」を体感したヒトは案外少ないのではないでしょうか・・・!?
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では、行ってみましよう。三ヶ町アーケードと合わせて960mと一直線のアーケードとしては、これまた日本一長い四ヶ町アーケードのこの小さな路地が「佐世保中央駅」への入り口です。(もう少し目立つようにしていいと思うのですが・・・)
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正面が佐世保中央駅です。左のレトロ・レストランがいい味だしてますね・・・。雰囲気ぴったりです。
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高架駅なので階段を昇ってホームへ。小さな駅ですが、ちゃんと駅員さんのいる有人駅です。これは佐世保駅方面を見ています。
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石炭積み出し港への盲腸線だった臼ノ浦線

旧北松浦郡小佐々町の臼ノ浦港と各炭鉱を結んでいた佐世保軽便鉄道臼ノ浦(うすのうら)線は大正9年に開通した柚木(ゆのき)線に遅れること11年、昭和6年に臼ノ浦~実盛谷(さねもりだに)間が開通し、佐世保市内や柚木・大野の炭鉱地帯とつながりました。その後翌12年に佐々~実盛谷間が開通し、世知原や江迎・佐々の各炭鉱地帯と接続されています。

ちょっと大ざっぱな図ですが、かつての佐世保軽便鉄道(後の国鉄松浦線、MR)はこのような配置になっていました。カラーの部分がいずれも廃線となっています。全ては掘った後の石炭を北九州や関西に送る積み出し港、相ノ浦港と臼ノ浦港に接続することが目的であったわけです。
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従って現在の松浦鉄道(MR)は、かくも蛇行した路線となったわけですね・・・
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現在、旧・臼ノ浦駅舎は「港町公民館」としてリフォームされていますが、ちゃんと残っています。看板に示してある通り、利用客減のため昭和46年12月26日をもって廃止となっています。
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昭和46年、臼ノ浦線運行最後の日に、臼ノ浦駅にて撮られた写真です。
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駅前の広場、階段はそのまま駅の雰囲気を残していますね・・・
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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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