アトリエ隼 仕事日記

長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・

教会・カトリック史跡等

26聖人上陸の地 ~ 西彼杵郡時津町

1597年2月4日、寒さの厳しい深夜。26聖人を乗せた小舟は大村湾をわたり、ここ時津の港に着きました。もちろん宣教師たちキリシタンを西坂の丘で処刑するためです。

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一行を乗船させた東彼杵郡東彼杵町の「乗船の地」が当時とほとんど変わらないと思われるのに対し、ここはまったくもって違う場所となってしまっています・・・



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ひとつの墓石が語りかけてくるもの・・・

長崎市外海(そとめ)地方黒崎にあるキリシタン墓地を歩いていた時に見かけたひとつの墓石です。
キリシタン墓碑として特徴的な事ですが、墓石が寝かせてあります。この地方で採れる薄い石で作ってありますが、どうしたことか割れてしまっています。そしてその上には木の棒を重ねただけの十字架と最近備えられたと思わしき水瓶。
けっして立派とは言えないお墓ですが、このひとつの墓石は多くのことを語ってくるような気がしました・・・・
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今も海辺のマリア像前で少女が賛美歌を捧げている、神ノ島教会

神ノ島教会の立つ神ノ島地区はその名の通り、ひとつの独立した島であったのですが、現在では埋め立てにより地続きとなっています。便利になった分、最近ではドラマ「愛し君へ」などのロケ地などになったりもしましたね。
神ノ島教会は大浦天主堂、出津教会、大野教会についで4番目に古い歴史ある教会です。
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その神ノ島教会から少し離れていますが、海に突き出た岩の上に4m60cmものマリア像が海を向いて立っています。フランシスコ・ザビエル渡来400周年を記念して昭和24年に建てられたものですが、海を向いて立っているということは、長崎港を出入港する全ての船の航海安全を祈っているわけですね。
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マリア像が見ている先には蔭ノ尾島がわずかに残っています。かつては画面左の長刀鼻に英国人が設計した灯台が立っており、その近くには蔭ノ尾教会がありました。(その後移転し、香焼教会となりました)
神ノ島と蔭ノ尾島はとも長崎港入り口にあるキリシタンの島として多くの船舶を見守ってきたのですね。おそらくこの教会とマリア像を見てほっとした外国人船員も多かったことでしょう・・・
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蔭ノ尾島は工場に呑み込まれてしまいましたが、神ノ島には今でも多くの信者の方が生活をされており、信仰を守り続けています。写真は「神ノ島岬の聖母祭」のものだと思いますが、今でも朝と夕方には信者の小学生たちが、この聖母像前で賛美歌を捧げているといいます。
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歴史は今にずっと繋がっている・・ということを思わずにはいられません。



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離島からの信徒たちによって支えられてきた、飽の浦教会

飽の浦(あくのうら)教会。三菱重工長崎造船所の近くにあるこの教会は、かつて五島・伊王島・外海などから工員募集で出てきた信徒たちによって発展してきた小教区にある教会です。
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教会が持つ保育園・親愛園は大正15年の開設であり、長崎教区にある保育所としては最も古い歴史を持っています。
離島などから出てきたということは、近くに子どもを預ける親や親戚もいなかったということで、この互助施設が早い時期からつくられたということでしょう・・・
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またこの飽の浦教会と親愛園は個人的に教師時代の校区にあったということで、生徒の保護者さんが亡くなった時に教会での葬儀に出たこともありますし、保育園では「総合的な学習・保育ボランティア体験学習」として生徒たちを連れ、何度も訪れた場所でした・・・
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ここでは校舎の中ではけっして見られない生徒の表情を沢山みることのできた、思い出深い場所です。


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ド・ロ神父のフィールドは、トトロの出そうな場所だった

長崎県の西彼杵(にしそのぎ)半島は、近代まで「陸の孤島」と言われた場所でした。特にフランス・ヴォスロール村からやってきた「陽気で飾らない」ド・ロ神父が活躍した外海(そとめ)地方は、山深く断崖が海にせり出した地で港もなく、まさに「となりのトトロ」もしくは「もののけ姫」の出そうな?場所であったようです。

↓明治初期の外海の様子。ここが最大に開けた場所であった、と言っても過言ではないでしょう・・・
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こじつけっぽい!?ですが、その西彼杵半島、大瀬戸町多以良外(たいらそと)郷・柳口バス停には、ちゃんと「トトロ」もいますしね・・・。
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ド・ロの残した建築と言えば、出津(しっつ)教会と付近の救助院などが有名ですが、海岸部にある、それらの施設よりも下の画像の「大平(おおだいら)作業場」のような山中の建築物の方に、その魅力が溢れているように思えます。
キリシタン弾圧の「冬の時代」においてド・ロらが活躍できたのは、信者たちを守り隠した深い森があったからと言えるでしょう。キリシタン弾圧に向かった役人たちも、土地勘のない森の中では、気が気でなかったでしょうから。

草木の中に埋もれた大平作業上跡です。
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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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