アトリエ隼 仕事日記

長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・

教会・カトリック史跡等

かえって日本人への親近感を高めることとなった雲仙地獄でのキリシタン迫害

島原半島の中央にそびえる雲仙岳(正しくは普賢岳、国見岳など三峰五岳の雲仙連峰或いは山体)。
島原半島のシンボルであり、かつ国立公園第一号ともなった有数の観光地であるのは、有名なところです。
DSCF2105

明治・昭和期の浮世絵版画師、川瀬 巴水が描いた雲仙、「天草より見たる 雲仙」は、静かなこの地の風情をよく表しています。
かつてはキリシタンの郷として栄えた後、島原の乱(或いは島原・天草の乱)により一時は荒廃したこの地方が、2015年の今、再び世界遺産を目指す「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一部として注目を浴びようとしているという事を想うと、悠久の時の流れを感じるというのか、感慨深いものがあります。
131

続きを読む

十字架山と本原教会 ~ 人の心が見せてくれる景色

「長崎の十字架山」の所在地を、一体どれくらいの方が知っておられるだろうか?という思いがありますが、そもそも十字架山の存在を知っておられることすらあやしい今日であるかもしれません。

しかし、下図のように昭和30年頃の長崎電気軌道さん(路面電車)の案内図には、かくも堂々と「十字架山」の存在が示されています。
(ちなみに、この頃は運行されていた電鉄バス路線図や、「井樋の口」や「千馬町」といった懐かしい電停、競輪場なども見えます。※以下クリックで拡大)

ma4158

案内図からも戦後復興めざましい長崎の様子がうかがえますが、片岡 弥吉著 「長崎のキリシタン使徒たち」によりますと、浦上一体がまだ住宅化の波の押し寄せていない、素朴なキリシタン農村であった頃は、汽車がこの地に入ると、小さな丘に立つ十字架が目に入ったといいます。これが当時、ポルトガル語の伝来のまま「クルス山」と呼ばれていた十字架山なのです。
当時、長崎を汽車で訪れた多くの方がまず目にしたその光景こそが、旅の序章として旅愁を掻き立てられた、「エキゾチックな長崎」そのものだった、ということなのですね。

その十字架山へ向かってみます。

続きを読む

空襲の際、間一髪で直撃を逃れた ~ 佐世保市三浦町教会

佐世保市三浦町教会。JR佐世保駅に降り立つと、眼前の丘の上に見えるその建物は、佐世保市のシンボルとも言えるものでしょう。
IMG_0061

下は、昭和30年頃の三浦町教会です。まだ周りに高いビルも無く、本当に「街のシンボル」的な建築物であったことがよくわかります。三浦教会516

続きを読む

水面に映える白亜の教会~中ノ浦教会(新上五島町)


新上五島町中ノ浦にある中ノ浦教会。
上五島空港が事実上閉鎖されている現在、旅人が奈良尾港から上陸し、北上する時にまず最初に目にするのが、この中ノ浦教会だろうと思います。
小さな入江のそばにたつ同教会は、その白壁が水面に映り、何とも美しいその姿で旅人の心を癒してくれます・・(写真を撮った時は潮位が下がっていました)。
DSCF4270

穏やかな内海、緩やかな山稜・・・・「幸福」に充ち満ちた風景が続きますが、この教会がある地区は、明治初年におけるキリシタン弾圧「五島くずれ」の中でも激しい弾圧が行われた場所でした。
その弾圧に耐えた信徒たちの血と信仰の強さを象徴するかのような五島つばきの赤い色が印象的です・・・
DSCF4268

諸外国から猛抗議を受けるという形で実現した、明治6年の「キリシタン禁教の高札撤廃」ですが、一説によるとそれは外国人居留地の近くだけで、地方では状況は一向に変わらなかった・・・と言われています。
おそらく離島のこのような地区では、旧態依然としたものであったに違いないでしょう・・・。
DSCF4269


長い弾圧が終わり、争いや戦が終わって、やっと平和が戻ってきたこの地ですが、少子化か過疎化か、一人また一人と人が去くことになりました。
そしてこの近くにあった上荒川小学校も閉校となってしまいました。時の流れの儚さを感じますね。

上五島へ~廃校となった若松町立上荒川小学校

教会も旧校舎もずっとこの地にあって欲しいと願うばかりです・・・。

人気ブログランキングへ

かつて炭鉱町の信徒によって支えられた大加勢教会

佐世保市(旧北松浦郡)鹿町・下歌ヶ浦にある大加勢(おおかせ)教会。
DSCF2084

日鉄鹿町炭鉱の炭鉱町にあったこの教会は、鉱員さんに多かったという信徒さんを大勢抱えていました。特に外海や浦上から移ってきた信徒さん達が多かったといいます。写真は当時の大加勢教会と炭鉱町の子どもたちです。教会は昭和22年に建てかえられていますが、基本となるデザインは昔のままです。
oogase220


続きを読む
記事検索


プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


以下は、すべてアトリエ隼(対州屋)のサービスです。









荷運び馬復活を目指す長崎市唯一の対州馬、ひん太FBページ

坂ん街の暮らし、応援します。
馬運・馬搬・作業萬ず/
「対州屋」(たいしゅうや)



☆ FaceBook ☆