アトリエ隼 仕事日記

長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・

教会・カトリック史跡等

苦難の時代に多くの孤児や棄児を救った岩永マキと十字会のカトリック信徒達は世界遺産以上の偉業を為した女性達(ひとたち)だった

岩永 マキ(1849~1920)の肖像。
写真すらほとんど残っていませんが、見る限り凛とした美しい表情をした人であることがわかります。
強さの中に秘めた優しさ、或いは優しさの中に秘めた強さ。そういうものを感じます。
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上の写真の集合写真です。マキは前でも中央でもなく写っています。見る限り、文献にあるような大柄には見えません。
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こちらの写真でも、手は細く小さく、体つきも華奢に見えます。
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岩永マキに関する文献は、ほとんど見つけることができません。
聖母の騎士社刊「お告げのマリア」と長崎文献社刊「長崎の女たち・第2集」の中で取り上げられていますが、それも多くではありません。
浦上キリシタン資料館の中に、その生い立ちを記した記述がありました。

『1849年(嘉永2)肥前国彼杵郡浦上山里村平(現:長崎市本原町)で生まれる。

父市蔵、母モンの長女、弟一人、妹三人、市蔵の祖父は「なわこもや徳右衛門」「なわこもや」は縄や菰にも)の卸問屋で信仰深い豪農であった。』(出典:浦上キリシタン資料館内の掲示物より)

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キリシタンの長い歴史を感じさせる、善長谷教会


善長谷教会。 ぜんちょうだに教会。
この名を知った時、とても大きなインパクトがありました。
「異教徒」を指す、キリシタンの言葉、それは「ゼンチョ」だからです。
従って、なぜ仏教徒の地名がある場所にカトリック集落と教会があるのか。
それを知る手がかりは、現地に向かえば、何か掴めるのか?
それを知ることが、怖いような気がして、長い間向かうことができませんでした。

深堀から西海岸沿いを蚊焼方面へ向かい、「善長谷」バス停から山側の細い道に入ります。
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かえって日本人への親近感を高めることとなった雲仙地獄でのキリシタン迫害

島原半島の中央にそびえる雲仙岳(正しくは普賢岳、国見岳など三峰五岳の雲仙連峰或いは山体)。
島原半島のシンボルであり、かつ国立公園第一号ともなった有数の観光地であるのは、有名なところです。
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明治・昭和期の浮世絵版画師、川瀬 巴水が描いた雲仙、「天草より見たる 雲仙」は、静かなこの地の風情をよく表しています。
かつてはキリシタンの郷として栄えた後、島原の乱(或いは島原・天草の乱)により一時は荒廃したこの地方が、2015年の今、再び世界遺産を目指す「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一部として注目を浴びようとしているという事を想うと、悠久の時の流れを感じるというのか、感慨深いものがあります。
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十字架山と本原教会 ~ 人の心が見せてくれる景色

「長崎の十字架山」の所在地を、一体どれくらいの方が知っておられるだろうか?という思いがありますが、そもそも十字架山の存在を知っておられることすらあやしい今日であるかもしれません。

しかし、下図のように昭和30年頃の長崎電気軌道さん(路面電車)の案内図には、かくも堂々と「十字架山」の存在が示されています。
(ちなみに、この頃は運行されていた電鉄バス路線図や、「井樋の口」や「千馬町」といった懐かしい電停、競輪場なども見えます。※以下クリックで拡大)

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案内図からも戦後復興めざましい長崎の様子がうかがえますが、片岡 弥吉著 「長崎のキリシタン使徒たち」によりますと、浦上一体がまだ住宅化の波の押し寄せていない、素朴なキリシタン農村であった頃は、汽車がこの地に入ると、小さな丘に立つ十字架が目に入ったといいます。これが当時、ポルトガル語の伝来のまま「クルス山」と呼ばれていた十字架山なのです。
当時、長崎を汽車で訪れた多くの方がまず目にしたその光景こそが、旅の序章として旅愁を掻き立てられた、「エキゾチックな長崎」そのものだった、ということなのですね。

その十字架山へ向かってみます。

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空襲の際、間一髪で直撃を逃れた ~ 佐世保市三浦町教会

佐世保市三浦町教会。JR佐世保駅に降り立つと、眼前の丘の上に見えるその建物は、佐世保市のシンボルとも言えるものでしょう。
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下は、昭和30年頃の三浦町教会です。まだ周りに高いビルも無く、本当に「街のシンボル」的な建築物であったことがよくわかります。三浦教会516

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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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荷運び馬復活を目指す長崎市唯一の対州馬、ひん太FBページ

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馬運・馬搬・作業萬ず/
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