西彼杵郡時津町浜田郷にある万行寺(萬行寺)。
今では静かなこの寺が、原爆・被爆後に瀕死の被爆者たちで埋め尽くされたことを知る人もかなり少なくなったのではないでしょうか。
私がこの寺のことを初めて知ったのは、中学生の時。或る夏の夜にラジオを聴いていると、ドキュメンタリー番組の中でこの寺が紹介され、涙ながらに当時を語る女性のすすり泣く声がずっと胸の奥に焼きついていました。
被爆した人たちで何とか自分でなんとか動ける人や救助にあたった人たちは、当然爆心から遠い方向、そして病院があった場所へと向かいましたが、長崎医科大学病院や浦上第一病院などの主要病院が壊滅状態となっていたために、その後周囲の時津町や長与町へ向かった人が多かったようです。特に時津町は病院の数が多いということを知る人もいて、多くの被爆者が運ばれました。しかし当然ながら各病院では到底収容しきれず、時津国民学校や青年学校、そしてこの万行寺が臨時救護所となりました。
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今では静かなこの寺が、原爆・被爆後に瀕死の被爆者たちで埋め尽くされたことを知る人もかなり少なくなったのではないでしょうか。
私がこの寺のことを初めて知ったのは、中学生の時。或る夏の夜にラジオを聴いていると、ドキュメンタリー番組の中でこの寺が紹介され、涙ながらに当時を語る女性のすすり泣く声がずっと胸の奥に焼きついていました。
被爆した人たちで何とか自分でなんとか動ける人や救助にあたった人たちは、当然爆心から遠い方向、そして病院があった場所へと向かいましたが、長崎医科大学病院や浦上第一病院などの主要病院が壊滅状態となっていたために、その後周囲の時津町や長与町へ向かった人が多かったようです。特に時津町は病院の数が多いということを知る人もいて、多くの被爆者が運ばれました。しかし当然ながら各病院では到底収容しきれず、時津国民学校や青年学校、そしてこの万行寺が臨時救護所となりました。
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