アトリエ隼 仕事日記

長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・

文化・政治・哲学

「 第4回 宮本常一写真講座 写真が語る地域像 」

「 第4回 宮本常一写真講座 写真が語る地域像 」
平成22年9月25日(土)14:00~17:00
周防大島町東和総合センター大ホール

基調講演「写真の記録性について」平嶋彰彦
      「記憶の糸口、日々のほつれ」中村鐵太郎
      「歴史研究と写真資料」河西英通
パネルディスカッション
      「宮本常一の写真に見る昭和の生活誌」

先日、県立図書館でたまたま置いてあったチラシの内容です。

宮本074
私が尊敬する人物の一人、故・宮本氏が撮影した写真が添えられていました。彼らしさのよく出ている一枚です。生活の場となっている船の上の姉妹のやさしい眼差しが、撮影者である宮本氏の方へ向けられていることがわかります・・・・。

宮本常一075裏面に掲載されていた宮本氏の写真。
また機会を変えて、宮本氏のことは書いてみたいと思いますが、今に残されている写真は、同氏の仕事に対する厳しさ、ストイックさとは裏腹にほとんどが、このようなやさしい「笑顔」のものです。
私は、彼の写真を見るたびに、このような表情で写真に写れるようなヒトになりたい・・・と思うのです。



それにしても周防大島、遠いなぁ・・・。



迷惑な「やたら威張り散らす先輩」

小浜町でシャッターペイント。これまで下作業の時はなんとなく通行人から「遠巻きに」見られていた感がありましたが、絵がはっきりとした線を表してからは、親しく話しかけられるようになった気がします・・・。作者の無愛想な分を絵が補ってくれているようです・・・。

この春、部署を変わった知り合いが、「やたら威張り散らす先輩」に苦労しているとの報を受けました・・・。確かに巷には、わずかに経験が長い、或いは年が上というだけで必要以上に威張り散らす輩(やから)が少なくないようですね・・・・。そういった性質の人間は、そういう態度を取ることが「教育」或いは「しつけ」などと確信しているような節があり、まったくもってはた迷惑なものですね。

新潟江戸しぐさ研究会著『江戸しぐさ入門』の中に・・・・

お年寄りというのは、江戸しぐさでは
・若者をどれだけ笑わせたか
・若者をどれだけ立てたか
・若者にどれだけ知恵を伝承したか
・・・・というように一人でも多くの若者を育てることがお年寄りの評価基準になっていた。

とあります。もっともなところです。
この「お年寄り」の部分に「先輩」「先生」「大人」「年長者」、
「若者」の部分に「後輩」「生徒」「子ども」「年少者」という言葉を置き換えてみれば、わかりやすいと思います・・・・・。

浪人という名の失業者と長屋式経済

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医療など明らかに進化発展したものもありますが、今もって尚「果たして進化(進歩)してきたのだろうか?」と首をひねらないといけないものも増えつつあるように思います。

江戸時代の資料を読むと、
『侍には浪人という名の失業者がけっこういたが、そのいっぽうで、江戸庶民の場合は、本人に働く気さえあれば、失業することは滅多になかった。』

・・・とあります。

『彼らの大半は長屋に住んでいたが、ブラブラしていれば、親代わりの大家が放っておかない。いろんなツテを頼って、仕事を見つけてきてくれたのだ。また、現在の職業斡旋所のような口入れ屋がたくさんあって、さまざまな職業を紹介してくれた。江戸の町に、それほど仕事の口が多かったのは、職業が細分化されていたからである。たとえば、現在のスーパーでは、魚に野菜、果物、肉、米、飲み物から、日常品や雑貨、衣類まで売られている。しかし、江戸時代には、4月に天秤棒をかついで商売する人だけでも、新茶売り、たけのこ売り、キュウリ売り、自然薯売り、柏葉売り、空豆売り、鰹売り、トビウオ売り、鯛売り、干しフグ売り、漬け梅売り、苗売り、麦焦がし売り、白玉餅売り、辛皮売り、孟宗竹売り、すげ笠売りなどがあった。行商だけでも、現在のスーパーで扱う商品の種類並の仕事があったのだ。』

確かに「龍馬伝」などをみていても、江戸の市中のシーンになると、商売人などが盛んに行き交って、街に活気がみなぎっています・・・。

加えて、江戸時代には商売替えをするときに、奉加帳(ほうかちょう)というカンパ金があつまってきて、金銭的にも精神的にもバックアップがあったと紹介されています。単純に今と比べることは、もちろん出来ないのだけれど、とても考えさせられることだと思いました。

昨日我が「長崎市民エフエム」を聴きながら走っていると、丁度ビートルズの「While my guitar gently weeps」が流れてきました。ビートルズと言えば、やはりジョンとポールなのですが、こうして聴いてみると、ビートルズを懐かしい、ビートルズっぽい?と感じさせる曲は案外、ジョージ・ハリスンの曲だなぁ・・と思ってしまいました。そして一番甘い声なのも、ジョージだな・・・と。
ジョージの「I need you 」「Sonmething」「Here comes the Sun」など、少ないけど好きな曲ばっかりですしね。
解散後の「Dark horse」なんて曲もかなりシブくて、好きでしたね。
確かにジョージはDark horseでした!





宮本常一さんの著書「私の日本地図⑮壱岐対馬紀行」

朝方はとなりのお婆ちゃんちでウグイスが鳴いたというのに、昼から嵐になりました・・・。

「私の日本地図⑮壱岐対馬紀行」のあとがきの言葉は、次のように結ばれています。
「・・・一人でいいから、本書を精読する変わり者の若者がいて欲しいと願う。」

新聞連載の最終回を見ていただいた方より、とても深く澄んだメールを頂き、心の奥が震えました。
だから、前述の言葉を深く実感しました。たとえ一人の方のひとつの言葉であっても「声」が伝えらえるというのは、ものすごく大きなことですね・・・・。
その方の言葉をもって、ここに完全に連載の締めくくりをすることが出来たように思いました。本当にありがとうございました。

そして今日立ち寄った図書館で宮本常一さんの著書を少しだけめくったところ、生家は善根宿をされていたそう・・・。

ぜんこん‐やど【善根宿】とは・・・・
修行僧や遍路、貧しい旅人などを無料で宿泊させる宿。宿泊させることは、自ら巡礼を行うのと同じ功徳があるとされた。

・・・とあります。ということは、巡礼者以外にも通常の宿に泊まれない様々な人が宿を借りにくるわけです。このような善良というか慈悲深いシステムがかつての日本社会にあったことが驚きでした。
どちらかと言えば、日本の社会は身分制度によって人を厳しく選別・区別していたというイメージが先行していましたので。
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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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