アトリエ隼 仕事日記

長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・

対州馬

対州馬の飼養と調教 23「 対州馬の馬体と蹄の傷のケア 」


まず馬が体を引っ掛けそうな突起などが、柵内にないかどうか日ごろから点検しておいた方がいいでしょう。もし出血するような傷をつけた場合は、うがい液の原液をティッシュなどに含ませ、患部を消毒します。
蹄に割れなどがあった場合は、それ以上裂けないよう切り取ります。蹄にはある程度弾力があるので、栄養不良で蹄が軟弱化した場合を除いて、極度に神経質になる必要はありません。蹄を健康的に保つためには、手入れは欠かせません。私は毎夕、水洗いしてブラシで泥を落とし、蹄油(予算に余裕が無ければサラダ油でも代用できます)を塗りました。 


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対州馬の飼養と調教 22「 対州馬は、どのような馬装で砂利等を運ぶか 」

まずは荷鞍(にぐら)。画像である程度わかるかと思いますが、木製で組んだ鞍の下は畳屋さんで特別に作った鞍下を置きます。中が何であるかは、聞き損ねましたが、この分厚い鞍下も仕事をするうちにぺちゃんこに潰れるようです。写真の鞍は荷運びをされていた方から譲ってもらったものですが、この鞍だけで、ざっと30kgぐらいあります。これに100kg、時には200㎏近い石材やブロック等を乗せていたわけです。

荷鞍の上には木枠にテント生地で作った砂袋を置くようになっています。袋の下はロープで絞ってあり、ロープをほどくと砂が下に落ちるようになっています。下の動画をみると、その仕組みがよくわかると思います。



対州馬の飼養と調教 21「 人はなぜ 馬を飼いたいと思うのか 」

なぜでしょう。私は人生を豊かにするため、と答えたいです。
言葉で説明することhが難しいですが、馬と接するようになって得られたことは、人生にとって大きな意味のあることばかりでした。
また、人の間で動く仕事にとても疲れた時、馬といっしょにいる時間は本当に有難い時間でした。何か大事な決断をしなけらばならない朝には、出発前に馬の顔を見て、言葉をかけてからいつも出掛けました。こうして人生の大事な節目を馬のおかげで潜り抜けて来られました。
馬のいななき、そして道路を歩く蹄の音も何とも言えない心地よさを与えてくれます。


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対州馬の飼養と調教 20「 対州馬の調教と道草を食うこと 」

「道草を喰う」とは、まさに馬が移動している時に、傍らの草を食むことを指します。
競走馬の牧場とは違い対州馬の飼養されている場所は、餌となる草の一切生えていない場所でしょう。したがって、対州馬が柵外に出た時、身近に野草が茂っていれば、それは対州馬にとってたまらなく食欲に襲われるはずです。しかし、仕事中或いは移動中に遭遇した草を自由に食んでいたならば、それはどうしようもなくなります。当然コントロールは効かなくなります。たまに馬を曳きながら草を食べさせている動画を観たりすることがあるのですが、これは人が馬を散歩させているのではなく、人が馬に散歩させられているに過ぎません。
基本、訓練中は外の草は食べさせてはいけません。もし食べさせる機会があるとしても、それはかなり限定的であって、いくつかの条件の元でのみ成立するということになります。
調教者のコントロールの範疇にありながら野草を与える、簡単そうで実はもっとも難しいと言っても過言ではないのことなのです。

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対州馬の飼養と調教 19「 馬を叩く、打つということは馬にとってどのような意味があるか 」

馬を叩くという行為は、これは競馬では通常の行為と言えますが、感情に任せて行われる場合はただの虐待であるし、馬との関係を著しく悪化させるものです。しかし、これが「no good」を伝える行為として適度な強さとタイミングで行われる場合はコミュニケーションとなります。
一般的に誤解されやすいのは、同じ力で叩かれたとしても、馬は人ほど敏感には感じないということです。夏にはサシバエという吸血バエが多数馬の体にたかることとなるが、これをハエ叩きで叩かれることは馬はまったく苦にしません。鞭は叩くための道具ではありません。


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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。29年 あさひ日本語学校・校長職を兼任。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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荷運び馬復活を目指す長崎市唯一の対州馬、ひん太FBページ

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