アトリエ隼 仕事日記

長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・

仕事の中で

Really Bad English Speaker

今日案内したのはイングランドからの若き建築家さんと某中学校の先生さん。
建築家さんはEnglish onlyのnativeでしたので、まさかの?初の英語&日本語の同時案内!・・・・・(´-д-;`)
まぁ間違いなくBad Speakerな私のEnglishですから、聞く方も、それなりに忍耐を要したと思いますが、そこは日本人と近い感性の英国人の方でしたので、何とか無事終了することができました。(先生氏の寛大な協力もあって・・・)

帰りの船中では、ジェスチャー?や筆談?も交えて、「Public Space(
共同空間)とコミュニティ及び社会問題」についてずっと討論?しました。
彼女はイングランドで小学校の設計をしたという、若いながらも有能な建築デザイナーさん。なので、ここぞ?とばかりに「軍艦島にあったアパートの建築がいかに優れていたか!」について売り込みました。
今晩には韓国へ渡ると言っておりましたが、今回のツアーが彼女のその後のworksに対し、多少とも影響を与えることができればうれしいと思います・・・。

しかし、英語はもう一度ちゃんと勉強しなおさなきゃ・・・・('A`|||)

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シアワセの通り道・・・「地獄段」を描く

久々に昼間から「軍艦島シリーズ」の制作にかかれました。・・・・うれしかった。
作品を作る以上、出来るだけ正確に描きたいので、日給住宅の住居入り口の木製扉のデザインを探すのにかなりの時間を費やしてしまいました。(数冊の写真集には見つけることが出来なかったので)結局は、3月に島内へ入った時に自分で撮ったものと、ある本に掲載されていた小さな写真を見つけ、中断していた作業を再開させることができました。
ところで、この日給住宅をはじめ9階建ての、エレベーターも個別のWCも風呂もないアパート。調べれば調べるほど「ヒトのシワワセの詰まった」アパートであったことがわかります。「音がうるさい」「共用場所に個人の物を置くな」「灯りがまぶしい」「ペットが迷惑だ」云々・・・という現代の集合住宅が抱える。悩ましいトラブルでは、おそらくここでは皆無に近かったことだけは、間違いないようです・・・・。

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奥の奥にある、凛としたもの

「ゲゲゲの女房」の水木しげる氏は妖怪マンガで知られていますが、不思議と気味悪さというものがなく、私自身も幼い頃から親しみを持って読んでいました。それは「妖怪の不気味さ」よりも「ヒトの哀れさ」を根底に感じていたからかもしれません・・・。
自分は霊感が強い方ではないのですが、この人の世に、科学では説明のつかないことがあっても不思議ではない・・・いやむしろ、そういう部分があることが救いであるとさえ思えてしまいます。

私がガイドをしている炭坑という場所(また周辺の島々)は、場所柄過去に多くの人が亡くなった場所でもあります。しかし同時に、生活を守る為に家族や島民同士が手を取り合って輝くように生きた場でもあります。
訪れた方に楽しんでもらうことが第一義なのだろうと思います。しかし過去に亡くなった方の声なき声を代弁するとまでは言いませんが、根底にはやはり「凛とした」ものがなくてはならないように思えるのです。

この時季、港へと通う道すがら爆心地公園や城山小付近には大勢の修学旅行生達の姿が見られます。ここ長崎市には大切な光景のひとつです。松山・大橋の浦上川付近を通るとき、無意識的に1945年の8月9日が脳裏にあるような気がします・・・。

そうやって考えてみると、「軍艦島ツアー」を深く知ることは、単に三菱高島炭坑端島鉱業所を知るということではなく、過去にあった、様々な場所での人々の生きた歴史(証し)を知ることでもあるということがわかってくるのです・・・・

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私にできるガイド業の全て

①にまずはヒトに関心を示すこと。・・・・どんな質問であれ、関心を示されて嫌な顔をするヒトはまずいません。そしてその後は、こちらの話の聴き方も変わってくるように思えます・・・。当たり前のことだけど、関心を示されることは、存在を認められることであるので、その時点でヒトの気持ちは高められてると思います。

②に共感の持てる笑いを共有できること。・・・・・これにより、ヒトというのは古今東西、老若男女いろんな人間がおり、深刻な状況もあったりするのだけど、反面それがゆえの「可笑しさ」「滑稽さ」が共通であることを知り、親近感を感じ合うことができるように思います。そしてその楽天性は日々の生活への糧にも成りうるように思えます。

③にジンとくるものがあること。・・・・・jこれにより、「可笑しさ」のすぐ裏側にヒトの情緒や感性を育むものがかくされていることを知ることになると思います。

現時点の私にできるガイド業の全て・・・・です。

午前中は灼熱の・軍艦島。夕刻には雷雨に打たれて帰宅しました。

神奈川・武相高校のナイス・ボーイたち

初任校で一緒だったS先生から異動の挨拶の葉書を頂きました。彼と一緒だったのは、たった2年間だけで、もうかれこれ20年前になります。しかも同学年ですらありませんでした。
手書きで「とうとう母校に戻ってきました」とありました。この1枚の葉書で私の気持ちが随分と高められたことは、言うまでもありません。
一事が万事と言います。「他人の気持ちを高められるヒト」・・・彼は私より年下ですが、本当の意味の「教師」であると確信しました。

今日は横浜の男子校の高校生達がツアーにきました。
「軍艦島コース」を選択した生徒達らしかったのですが、本当に感じのよい生徒ばかりでした。
・・・男子校、いいなぁって思いました。

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ツアー後、たまたま湊公園の近くを通ると、彼らが長崎名物「チリンチリン・アイス」を買っている場面に遭遇しました。彼らは、こっちにもちゃんと気がついてて、ペコリと頭を下げました!
よい修学旅行を!!
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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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