アトリエ隼 仕事日記

長崎の炭鉱・教会・対州馬などをご紹介しています。 多くの方が炭鉱時代の事を探しておられるますので、炭鉱記事へのコメントは、どうぞアドレスをお書き添えください。橋渡しいたします!

長崎の街で・・・

消えた学校、消えた子どもたちの声 ~ 産業教育推進校だった歌浦中学校

旧北松浦郡鹿町町下歌ヶ浦。「歌ヶ浦荘前」バス停を降り、山側を向くと小川に沿い開けた場所があります。今は福祉施設が建つこの場所こそ「歌浦(うたがうら)中学校」と「歌浦小学校」が並んで建っていた場所でした。
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自然とα波が出る?木造の有人駅 ~ JR大村線・千綿駅

JR大村線・千綿駅(東彼杵郡東彼杵町)。開業は昭和3年ですが、駅舎自体は平成に入ってから改築されたものだとか。
特に駅にまつわる歴史は伝わっていませんが、海軍鎮守府のあった佐世保、海軍工廠のあった川棚、そして陸軍歩兵第46連隊や海軍航空隊があった大村にはさまれたロケーションを考えれば、様々なドラマがあったであろうことは想像できます。
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しかしこのシンプルな造りの駅舎の中に入ってみると、自然とα波が出るような気がするのは、私だけではないはずです・・・
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「兄ちゃんは やったぞ!」 大村工業・春高バレー初制覇の中で・・


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平成24年1月9日。春の高校バレー・男子決勝を制し初優勝を飾った大村工業のトピックで翌10日の長崎新聞にいい記事が掲載されていました。
せっかくのこのような記事もweb版としては配信されておらず、このまま消えていくのも惜しいので敢えて画像としてUPすることにしました。

同校バレー部は決勝の日の朝、ゴミ拾いをしたのだといいます。何故そうしたかという問いに対し、監督は「勝負の中の運を引き寄せるには、そういう行いを忘れないことが大切」ということを語ったそうです。

こういう指導者(教師)と生徒たちだからこそ、優勝できた・・というより、優勝したことにより、こういう教師と生徒たちがいたことを知ることができたのが、地元にとっては何よりのニュースとなりました。

大村工バレー部は、本日10日に大村市に帰る予定だそうですが、この高山君を迎えた施設の様子を想像すると、その幸せな雰囲気が有り有りと浮かんできます・・・

ヒトを、子どもを育てるということ。育つということについて、深く考えさせられました。

児童擁護施設子供の家
http://www.kodomonoie.or.jp/

hpを覗いてみると、四季折々、子ども達の楽しそうな生活が伝わってきます・・・



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消えた学校、消えた子どもたちの声 ~ 校庭から軍艦島を望んだ、長崎市立高浜小学校

長崎市立高浜小学校。(旧西彼杵郡野母崎町立高浜小学校)
このところ、夏になると軍艦島を見ながら泳げる、というので海水浴に出掛けていた高浜町にあった小学校。高浜海水浴場のそばであり、あまりにもシンボルのようにそこにあったので、とりたててその存在を意識もしていませんでした。
平成22年3月末を持って閉校となってから1年半。ふと思い立って、その校舎を見に行くことにしました・・・。
(画像は途中に見えた軍艦島)
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原子野からの復興の軌跡 ~ 城山市場

長崎市城山町にある城山市場。
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市場がある場所は、城山小学校の近くであり、更に川寄りですので、爆心地からは約400mという至近距離にあたります。まさに「原子野」のど真ん中という場所ですね。(画像は昭和57年の空撮)
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城山市場についての詳しい記録はわかりませんが、おそらく戦後20年代の終わりから30年代のはじめ頃に出来たのではないかと推察されます・・・。被爆校舎の見えている通りの1本(向かって)左が市場のある通りです。
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日本で2番目に古いダムを見上げる街 ~ 本河内低部ダムと蛍茶屋界隈

本河内(ほんごうち)低部ダム。路面電車「蛍茶屋」から川沿いに沿って進むとその姿を見ることができます。このダムの建設は1904年(明治37年)神戸の布引五本松ダムに次いで日本で2番目に古いコンクリートダムなのです。
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消えた学校、消えた子どもたちの声 ~ 長崎市立小ヶ倉小学校大山分校

長崎市大山町。熊ヶ峰中腹にあるこの小さな集落へは、よほどのことがない限り一般市民は足を踏み入れたことがない場所です。
2006年に廃校となった「長崎市立小ヶ倉小学校大山分校」があった場所を訪ねてみました。集落へは、夕方であれば薄暗く、心細くなるような深い山道を進まねばなりません・・・
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さよなら単館劇場 ~ 諫早パルファン

この間、県内でいわゆるロードショー系の単館劇場は「諫早パルファン」1館のみになるという記事を書いたばかりでしたが、その諫早パルファンも今年(2011年)の10月末で一時閉館すると報じられました・・・。

諫早パルファンの前身は「永楽座」。戦前から諫早には「喜楽館」と「永楽座」という映画館があり、映画だけでなく、浪曲や芝居などの興行も行われ、市民に親しまれていました。
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現在の諫早パルファン。平日に休館日があるとは思わずに行った為、この日は休館日。よりいっそう寂しさを滲ませていました。
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ビルの他店舗も既に撤退していたようでした・・
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最後の上映作品は「仮面ライダー」。昼間3回だけのさびしい上映です。昔の大きな手がき看板を知っている世代には、なんともさびしくちっぽけなポスターですね。
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同館には駐車場がありません。ひと昔前はそんなことあたりまえだったのですが・・。画像は同館からすぐの島原鉄道「本諫早」駅です。島原の映画館が閉鎖して、この駅からパルファンへ映画鑑賞へ行った方も多かったのではないかと思うのですが・・・。
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単なる感傷ではなくて、こういう昔ながらの劇場が無くなるということは、映画館の本当の楽しみ方やマナーなどを次世代の子ども達に伝えていく機会もまた失われる・・ということで、それが何とも残念なのです。
空いてるのにかたまって座らせられたり、高い飲食物を中で買うしかない・・・といったシネコンでは、子ども達に教えられることはほとんど無いように思えます。

一時閉館・・ということですが、もう往時の単館劇場として蘇ることは無いような気がします。

さよなら諫早パルファン。さよなら永楽座。



さよなら単館劇場 ~ 佐世保・エクラン東宝閉館

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造船所を望む丘にあった、長崎市立 立神小学校②

今は無き立神小学校へのスロープ。その途中に置いてある坂道専用のゴミ運搬函が、いかにも長崎らしい景観をつくっています。かつてはこの坂を大勢の子どもたちが通っていたのでしょう・・・。
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しかし、坂を上り詰めても、そこに懐かしの校舎はありません。
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造船所を望む丘にあった、長崎市立 立神小学校①

平成12年度をもって閉校となった長崎市立 立神小学校。その後10年が過ぎ、校舎は跡形もなく取り壊されてしまっていますが、解体を逃れた特別教室兼プールの壁には今でも鮮やかに児童の共同制作画が残っています。
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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。29年 あさひ日本語学校・校長職を兼任。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


以下は、すべてアトリエ隼(対州屋)のサービスです。




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