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長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・
『1849年(嘉永2)肥前国彼杵郡浦上山里村平(現:長崎市本原町)で生まれる。
父市蔵、母モンの長女、弟一人、妹三人、市蔵の祖父は「なわこもや徳右衛門」「なわこもや」は縄や菰にも)の卸問屋で信仰深い豪農であった。』(出典:浦上キリシタン資料館内の掲示物より)
続きを読む画像は三菱重工長崎造船所が建造した客船として最後となった、「アイーダ・ペルラ」です。三菱にとって造船は祖業ですが、近代都市としての長崎市にとってもまた、造船は祖業と言えます。しかし、ここ数年造船を取り巻く状況は思わしくありません。「巨額損失に客船建造事業より撤退」「工場跡地の再利用」など、悪いニュースばかりが聞こえてきます。
アイーダ・ペルラが停泊しているのは、三菱重工の香焼工場岸壁です。昔、島であった香焼地区は明治時代から松尾造船が進出し、その後川南造船、三菱と、大手造船会社が操業を続けてきました。画像の左端に見えるクレーンは、対岸の毛井首、深堀地区にある中小の造船所のものです。
その深堀地区にあって、三菱に次ぐ中堅造船所として操業を行っていたのが、林兼造船長崎工場(1965~1980)です。
出展:「長崎県の産業」1967年
深堀という街は、一歩中に踏み入れた時から、なんだか懐かしい風情が漂う街です。昭和の時代に多くの人が集まり、賑やかさが溢れていた面影が残っているからなのでしょう。
タイトル通り、路面電車の軌道跡である斜面に出来た勝山市場にあった、なじみのお婆ちゃんのお店が、いつの間にか、ひっそりと閉店していました。
久しぶりに、あのお婆ちゃんのお店でパンを買って食べよう」と、久しぶりにやって来たのですが・・・・
数年前に撮ったお店。
ポルトガル人とカトリック信徒が礎を築いた天然の要塞都市「長崎」。その坂の街の様子を続けてご覧頂きたいと思います。(横長の画像はクリックで拡大します)
城壁のような急坂から下方を望むと、こんな感じです。
角度が違えば、見える景色も様々です。ここは港を望む坂段。
カトリック修道院と幼稚園を望む坂段。
小学校を望む坂段も。
もちろん他の地方と同じく、子どもたちの姿はこの街の「希望」であり、「未来」そのもの。
しかし、坂の街から1軒、また1軒、と家が減り・・・
坂の街の児童公園からも子どもの姿が消えました。
ダムのすぐそばにあるこの公園の遊具や・・
港を望むこの公園の遊具も心なしか寂しそうです。