アトリエ隼 仕事日記

長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・

軍艦島・西彼炭田の炭鉱

三菱崎戸炭鉱 ③ ~ 西海市崎戸町

最終3回目は、第二坑のあった本郷地区と港周辺、それに資料館の写真などを数点紹介したいと思います。

積み出しの行われていた現在の浅浦港です。手前の石積みは、かなり古い時代のものに見えました。
港の奥は、造船所なのですが、既に操業を止めてしまっているようでした。
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資料によると、造船所のある場所に、映画館があったようです。写真を見ると、「浅浦会館(浅は旧字体)」とあります。「賀正」という看板が掛けてあるところを見ると、お正月のようですね。それにしても、大きな建物です。
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現在の浅浦港付近です。
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炭鉱があった大正末期の写真です。山の上に鉱業所があるのが見えます。
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三菱崎戸炭鉱 ② ~ 西海市崎戸町

私にとって「崎戸炭鉱」のイメージは、なんと言っても、この写真です。一体何棟並んでいるのか、わからない位続く社宅群。初めて、これを見たのは、もう何年も前ですが、思わず感嘆の声が出たと思います・・・
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その炭鉱町には、病院、学校、劇場、市場、グラウンド、プール・・・などありとあらゆるものがあり、他の地区からここへ来る人も多かったと言います。
下は「福浦会館」という映画館(演芸場)です。
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この地にあった「昭和小学校(昭和43年廃校)」です。
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その最大の炭鉱町で栄えた福浦は、見渡す限り広がる「更地」と化しました・・・・。
何がどこにあったか・・・などということを考えることすらも、虚しくなります。
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このように、ほとんどが「立ち入り禁止」であって、歩ける場所には、なんにもないフラットな場所・・・ということなのです。
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三菱崎戸炭鉱 ① ~ 西海市崎戸町

崎戸町には「炭鉱跡記念公園」と歴史民俗資料館があるので、そこへよって情報収集をしてから、巡ることにしました。

炭鉱跡公園近く、草の生い茂る中に商店跡の看板だけが、ぽつんと残されていました。「酒」「塩」「たばこ」・・・いずれもヤマの男たちと家族には欠かせないものですね。
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崎戸町における炭鉱の歴史は大変古いのですが、大規模な操業となったのは、昭和15年に九州炭鉱汽船株式会社が三菱鉱業株式会社に合併し、「三菱鉱業株式会社崎戸鉱業所」としてスタートしてからでした。

炭鉱跡公園の土手には、古い坑口が残っています。かなり古いものらしく、崎戸出身である資料館長さんも、はっきりと年代、用途がわからないとのことでした。(昭和43年閉山です)
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また、この坑口跡の近くには、子どもたちが描いたであろう、鉱業所、人車、竪坑やぐらなどの絵がありました。こういうものが、心に響きますね・・・・
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松島炭鉱 ~ 西海市大瀬戸町松島

松島炭鉱沿革

近代炭鉱としては、明治18年、三菱合資会社の経営により竪坑開さく、採炭にあたるが、出水多く中止。
明治36年に佐賀銀行の創立者・古賀善兵衛が三菱の後を買収、第1~3坑を開き、大正2年に「松島炭鉱株式会社」となっています。同3年に4坑を開発。
その後、同5年に2坑水没。8年に1坑も水没という憂き目に遭っていますが、主力の4坑に力を注ぎ、大正6年~10年の間、全盛期を迎えています。
(画像は、積み出し港であった内浦港の当時の様子)
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当時は、松島の対岸、西彼杵半島の、多以良・雪浦・瀬戸といった村から、多くの村民が積み込み人夫として通勤し、半島の野菜なども流通して、大いに活況を呈した・・・とあります。
昨年、多以良小学校の新入生が確かひとり、とか聞いたような気がしますが、大正期はまったく違ったわけですね・・・
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鉱区は島の東部を中心に、5坑まで開かれたようですね。






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三菱横島炭鉱 ~ 長崎市香焼町

香焼町、香焼炭鉱の中心地であった安保地区から眼前の海を望むと、ちょうど潜水艦が浮上したような、岩礁が見えます。
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この岩礁がある場所こそ、三菱横島炭鉱のあった場所です。下の写真は、貴重な操業時代の横島ですが、あまりにも島の姿が違います。
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実は、この島、閉山後、海中に消えた「まぼろし」の島なのです・・・続きを読む
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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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