nihakobiuma

親戚や親兄弟に対してもほぼ同じような感情があります。
親というものは、どんな人にとっても無二の存在ですが、それが故にその存在は幼い頃にとっては絶対的な影響を与えますね。
私の場合、家庭に特に虐待や極度の貧困という問題はなかったものの、基本的に次男である私は「特に興味を持たれない」という存在でした。それは基本今も変わっていません。


今、HSPという言葉がメジャーになりましたね。これは「ハイリー・センシティブ・パーソン、とても繊細に感じる人」という意味でアメリカのエレイン・アーロン博士が提唱したものです。説明によると人類の約20%にあたり、タイトルにある馬という動物ももHSPにあたるとされています。率直に言うと、私はHSPのど真ん中に(?)いると思っています。
しかし、このアーロン博士による提唱はとても有難いことです。この提唱のおかげで、実に何十年も解けなかった人生の疑問が解けてきました。

話を戻し、もう少し「買い被り」について述べてみます。
私は幼い頃、「大人やその大人たちが築く社会は、とてもよくできたものに違いない」と勝手に思い込んでいました。
幼稚園の時、クラスの前方にある教卓の陰で1人ずつ下半身を露出させ、肛門に蟯虫検査の

テープを押し当てるシスターの行いも、
小学生の時、工事を見物していると、遠くの商店まで「タバコを買ってきてくれ」と言ってお金を渡し、走って買いに行ってきたのに、駄賃も何もくれなかった工事のおじさんの行いも、
同じく小学生の時に大人気だった「仮面ライダー」スナックを買ったのに、必ずもらえるはずのライダー・カードを「カードは無かよ」と言い放った店のおばさんの行いも、
同じく小学校で好きな方だった男の担任がある時、浅野くんというクラスメートがちょっと何かしらの問題を起こした時に「忠臣蔵では、浅野内匠頭が悪い奴だったから、同じ名前のお前も悪い奴だ!」と叱ったその行いも、
そんなことは枚挙にいとまがないのですが、「よく出来ているはずの社会の大人がすることだから」と自分の中に違和感を感じながらも自分の中に押し込めていました。