超絶滅危惧種である対州馬の保存と繁栄を願い記事を作成・投稿します。記事内で使用する画像はほとんどがオリジナルですが、馬のことを広く知って頂くために敢えてキャプチャーの画像も含まれることをあらかじめお断りしておきます。

序章

日本在来馬8種の1種で対馬原産の対州馬は、2019年8月現在、すでに「絶滅中」とでも形容できるような状態にある。これには種々の理由が存在するが、非常に混み入ってしまうので、この場では割愛します。
馬についての説明は非常に退屈なものであるし、他にも多く述べられてるので、初めにいかにして私が対州馬を飼いたいと思い、それを実践していったかをなるべく時系列に沿って述べていきたいと思います。

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「なぜ 対州馬を飼いたいと思うようになったか」

1963年(昭和38年)に長崎市で出生し生まれ育った私なのですが、対州馬に興味を持ったのは恐ろしく後にあってからのことです。
いや、正確に言うと「馬」そのものに特に興味もなく、「対州馬が好きになったから、馬を好きになった」という言い方が当てはまるのだと思います。
だから、多くの乗馬をされる方、馬好きな方とは最終的な価値基準は一致することが多いのですが、多少の違和感はどうしてもぬぐい切れない場合もあります。「競馬ファン」と自他ともに認める方々とは根本的な馬に対する価値観が違うと言っても言い過ぎではないでしょう。
私の場合、ベースにあるのは『 郷土長崎の戦後復興の一役を担った不思議な因縁のある馬 』というものなのです。

対州馬との運命的な出会いは、仕事がきっかけで訪れた大村市のとあるカフェでした。
そこにいた牝の対州馬は馬というより、むしろ犬に近いような感じでした。
それまで目にしてきた馬というのは、近寄っていっても、そのまま草をはんでいるか、何も反応しないというイメージの存在でした。
しかしその馬は明らかにこちらに興味を持ち、ずっとこちらを伺いながらもじもじしていました。しばらくして馬の名前を呼んでみると、もじもじしながらも少しずつ近寄ってきました。そしてその後はべったりと甘えてきて私の洋服をはぐはぐしたり、といった感じでした。私はすっかりその愛らしさにやられてしまいました。こうして、私と対州馬との決定的な「縁」が出来上がりました。
『 対州馬は長崎市に気の遠くなるほど存在する坂段や狭いスロープを荷物を背負って働いていた馬 』。
そこから私の対州馬に対する熱烈な思いはつのる一方で、ついには飼養することになりました。

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